幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

寺子屋

武蔵野市にあるA寺で、寺子屋時代に使用したという机(座卓)を参観させてもらいました。一人用で、このことからも寺子屋教育が、個別指導だったことを伺い知ることが出来ます。ついでに寺子屋について、お話をお聞きしてきました。

江戸時代も後期になると、文字は上流階級だけでなく、広く一般庶民にも使われるようになりました。
当時武蔵野市は農村地帯でしたが、農村商業も盛んになってきたので、文字は必要不可欠なものとなりました。

寺子屋の設立には、寺の僧・神社の神官・地元の有志(庄屋・豪農・篤志家など)・武士等が関わりました。
武士などは、生活の方便として営みました。豪農などは、渡り者を雇って、農繁期には農業を手伝わせ農閑期には寺子屋の指導を任せました。農繁期に子どもを預かった保育所的なものが、寺子屋に変わった例もあります。

江戸時代後期は、寺子屋の最盛期だったようです。「手習師匠(寺子屋の先生)は、1町に2~3人はいる。」と、言われました。
「昨日まで魚菜商内(あきない)いたし候者も、今日は手習師匠と姿をかへ候など、元より芸術の熟不熟に頓着なく、門戸を張り候へば、広き江戸の事故、どうやら生活に相成候。 (済時七策)」 という状況でした。
いま乱立する塾ブームの走りでしょうか?

幕末から明治になると、寺子屋は廃業が続出しました。幕藩体制の崩壊や、社会不安も影響しました。1872年(明治5年)以降は、少学校教育がそれに取って変わりました。

寺子屋で使われた机のことでも触れましたが、寺子屋教育は個別指導(個別学習)が主流でした。
内容が習字あるいは読み書きの1~2科目ですから、個別指導が可能ですし、その方が効果的でもありました。後には、ソロバンも加わりました。都市部では女子を中心に、茶の湯・生花・裁縫などが教えられるようにもなりました。

履修科目は少なくても、習字や読み書きを通して、道徳教育・情操教育・社会生活に必要な知識や技術などが指導されました。寺子屋教育は、グローバルな観点からも、優れた教育活動でした。


寺子屋の話を伺いながら、歌舞伎の「寺子屋(菅原伝授手習鑑・四段目)」が脳裏をかすめました。


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://freesia7.blog10.fc2.com/tb.php/1229-e71d3138