幼児教育を語るひろば

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教育が虐待?

「教育という名のもとで虐待がおこっている」と、9日付け朝日新聞の教育欄にショッキングな見出しが載っていました。筑波市で開かれた「日本子ども虐待防止学会」で、報告されたとのことです。

記事によると、教育熱心な親の過干渉と、問題を抱える子どもに対応しきれないで、教師が指導を放置しているためだと言います。でもこれらは、いま突然に現れたことでは無いと思います。すでにふた昔も前から、話題になっていました。


ところでいま一度、教育とは何でしょうか?
ルソー(Jean jacques Rousseau 1712~1778)は「植物は栽培によって作られ、人間は教育によって作られる。」と、言っています。さらに、こうも言っています。「生まれた時に私たちが持っていなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によって与えられる。」 と。

ルソーが言う「大人になって必要なもの」とは、「人間性」のことです。
「人間性」と共通な概念を持つ言葉に、「人間像」・「人格」・「社会性」・・・・ 
などがあります。

一方で私たちは、個としての人間であると共に、社会人(国民)としての人間でもあります。ところが個は、十人十色ですから人間性も多様です。そして個と社会(国家)は、相反する中身を持っています。

民主主義の基本は、個の尊重です。然し個は、とかく自己中心的になりがちです。
個人的な面と社会的な面の調和をどう図るか? これが課題です。
「人間は社会的動物」とまでいう学者もいます。個は、社会人としての責任も問われているのです。教育には、こんな背景があります。

いまや教育は、学校教育のことを指すようになっています。そこでは人間性の育成(人間形成)より、生活に必要な諸能力(知識・技術)や、立身出世に伴う術の獲得などに力を注ぐようになりました。

そうなると親は子どもの心身の健康より、成績だけが気になります。学校も親の要求に応えて、知識・技術を教え授ける場に戻ります。子どもの人間性の育成は、置き去りにされます。

子どもにとって教育(学校)は、個々の人生の指針となる課題を見つける場です。そんな環境造りさえしてくれれば、親の過干渉も教師の指導放置も無縁になります。

その前に、子どもたちが親の過干渉や教師の指導放置から逃げる場所を造ってやるのが、学校・家庭の緊急課題です。「教育が虐待」は、教育の主人公が子どもたちであることを再認識する警告です。



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