幼児教育を語るひろば

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教えるということ

教えるということが教師の一方的な働きかけであったら、こんな楽な仕事はありま
せん。 どんなに難しいことでも、言葉だけなら口先三寸で事済むし、どんなこと
だって割り切れてしまいます。

でも、一方的に教えられる子どもの方はどうでしょうか?
子どもは十人十色、一人一人のものの見方・感じ方・考え方・行い方は違います。

教師の働きかけに対しては、それぞれ反応しますが、だからと言って認識出来た
わけではありませんし、割り切れたわけでもありません。

教えるということは、教師と子どもの相互作用です。互いに関わり合って共感し合う
関係です。そして一つの目標のもとに、組織化されて行きます。もちろんその中には、
教師の意図や願い(教育観)が秘められています。 それが子どもたちに伝わって、
授業という形で表れるのです。

授業をどう始めるか?  これがとても大事な課題です。
つまり、授業の始まり・導入をどうするかということです。犬だってすぐには吠えられ
ません。食欲の無い人に、「食べろ!」と言っても無理です。食を大事にするよりは、
病人を元気にすることが先決です。

教えることが大事なのでは無く、勉強への興味・関心をどう持たせるかが大事なの
です。そうでなければ、子どもは自ら学ぼうという気持ちを持ちません。
子どもは教えられるのでは無く、教師の働きかけに反応して、教師の思いを理解・
認識することで、自ら学び始めます。

「桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す。」
立派な先生のもとには、その人を敬い慕う人が多く集まります。教える必要は無い
のです。 先生が立派だったら、子どもはそのもとへ自然に集まって学び始める
のです。

学問に王道はありません。下学して上達するものです。
教師は子どもたちに身近なことを(基礎・基本を)しっかり学ばせて、やがて高遠な
学問の域に到達させるように心がけましょう。

「学者の取った天下無し」と、言われます。
教師は世間知らず、という声をよく耳にします。あれこれ理屈は言うけれど、現実に
疎いということです。
論語読みの論語知らずにならないように、自戒したいものです。


 

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