幼児教育を語るひろば

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幼稚園教育の歩み

「処暑」と共に、蒸し暑さが戻ってきました。皮肉なものです。

きょうは朝から雨なので、暇に任せて書棚の整理をしました。
幼稚園に勤務していた頃の資料が、結構あります。
フレーベルに関する本や資料が、いくつか目に留まりました。
そこで久しぶりに、幼稚園教育の歩みを追ってみました。

幼稚園は、フレーベルが1837年に、ドイツのブランケンブルクに開設しました。Kindergarten(キンダーガルテン・子どもの園)、花園に良い花が育って咲くようにという願いをこめて、こう呼ばれました。

フレーベルは、「子どもの内にある自己活動の芽生えを、遊びによって引き出し、発達させることが大事だ。」と説きました。この考えは、今でも幼稚園教育の主流になっています。

ただ、当時の教育思想の背後にあった神秘的な世界観に影響されて、どちらかと言うと、形式主義に流されて行ってしまった気配があります。

その後アメリカで、G.S.ホールやJ.デューイの活動により、「子どもの経験を尊重して、発達と個性を重視する。」という新しい幼稚園教育が生まれました。

日本では、1872年の学制に「幼稚小学」の名称だけ出てきましたが、実体は伴いませんでした。1875年には、京都の柳池小学校にそれらしい施設が造られたものの、1年で廃止されました。

1876年(明治9年)11月14日、東京女子師範学校(後の女高師・現御茶ノ水大学)に、幼稚園が付設されました。
1878年(明治11年)には、鹿児島・大阪に各1園出来ました。

1879年(明治12年)の教育令で、正式に「幼稚園」の名称が使われるようになります。1886年(明治19年)には、全国で38園になりました。

幼稚園の数が100を超えたのは、1889年(明治22年)になってからです。
幼稚園は、当初富裕層のものでした。だから20世紀に入ってからも、250園程度しかありません。

1900年(明治33年)、小学校令施行規則の中で、「満3歳から就学時までは、幼児の心身を健全に発達させ、善良な習慣を獲得させ、家庭教育を補うのが幼児教育の目的。」と、謳われました。
保育内容としては、遊戯・唱歌・談話・手技と規定しています。さらに、過度の業を課すことを戒めていますから、当時も知的教育に熱を上げる家庭があったのかも知れません。

一方で、炭鉱・工場・農村などでは、1890年頃から「託児所」が造られるようになりました。日露戦争後の、貧困遺族の就労を助けるためです。
これは文部省の教育事業では無く、内務省の慈恵的救済事業でした。

1900年1月に、野口幽香らが、貧民層幼児のために「二葉幼稚園」を開設しました。1915年には、「二葉保育園」と改称しました。
この辺りに、保育園の起源があるようです。

1940年(昭和15年)には、幼稚園の数が2312園になりました。
然しその後の第2次世界大戦で、幼稚園数は激減しました。戦後、文部省の幼稚園振興策もあって再び増加し、1966年には、9038園(公立3295園・私立5734園)になりました。

学校教育法によれば、幼稚園教育の目的は、「幼児を保護し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長する。」ことです。
これは、子育ての基本です。これが実践出来れば、幼児虐待など、到底考えられないはずです。



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