幼児教育を語るひろば

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ウソつきは泥棒の始まり?

次の4つの話をどう思いますか?

*「ウソをついたことが無い人は、手をあげなさい。」と言われて、 もし手をあげ
  た人がいれば、その人はウソつきだ。
*「怒らないから、正直に話してごらん。」と言われたので、 正直に話したら怒ら
  れた。
*「ウソも方便」と言うから、目的を達成するためには、ウソをついても許される。
*「ウソつきは、泥棒の始まり。」と言うので、 ウソは非行化の兆しである。

ウソという言葉には、マイナスイメージがあります。何か良く無い方向へ、物事が進行するような気がします。実際に辞書で調べてみても、「ウソ(嘘)」には、正しく無いこと・適当で無いこと、というような意味が含まれています。

ではどうして、人はウソをつくのでしょうか? 子どもと大人では、少し違うようです。
大人の場合は次に譲って、今回は子どもに絞って考察してみます。
(政治家のウソは、また別格のようです。)

幼稚園では、「ぼくのお父さん社長だよ。お金持ちだよ。」と、威張る子がいます。
友だちに自慢したい・認められたい・優位に立ちたい・・・ そんな気持ちの表れです。
年少さんあたりでは、「私のうちには、ピアノのお部屋があるよ。召使いさんがいるの。」と、理想と現実の区別がつかないようなウソがあります。

大人から見れば、ウソとすぐに分かります。また何のためにウソをついているのかも、推測できます。このようなウソは、わざわざ注意する必要も無いし、叱る必要もありません。

年長さんから小学生になると、子どものウソも複雑になってきます。
叱られたくない・罰が怖い・自分を守るため・自分を飾るため・何かが欲しいとか何処かへ行きたいため(要求のため)・・・・ 人間関係の広がりと共に、ウソをつく機会も多くなるからです。大人は、これらのウソを、害があるか? 非行化につながらないか? 見分けなければなりません。

幼稚園に勤務していた頃、こんな事例がありました。

トイレットペーパーが、屋上から園庭に投げ捨てられたり、プールに投げ込まれたりしました。巻かれているトイレットペーパーの一端を掴んで投げると、巻かれたペーパーが帯状にほどけて行きます。屋上から放り投げたトイレットペーパーが、細長い帯になって、ヒラヒラと地上へ届きます。プールに投げ入れられたトイレットペーパーも、帯状になって水面を漂います。子どもにとっては、スリリングな面白い遊びです。

犯人は、Sだとすぐに分かりました。目撃者が、沢山いたからです。すぐに担任がSを呼んで問い質すと、「ぼくじゃ無い!」と、認めません。「見ていた子が一杯いるのよ。いけないことでしょ?」と、担任が強く言ってもSは口を閉ざしたままです。

担任は、辛抱強く優しくSと対応しました。「トイレットペーパーが無いと困るでしょ?」・「謝って、これからしなければ良いのだから・・・」と。Sは、穏やかな担任の様子を見て安心したのでしょうか、やがて「ごめんなさい!」と、謝りました。そしてSと担任は、一緒に後片付けに向かいました。

幼稚園児なら、この程度の対応で十分です。でも年齢が進むにつれて、問い詰めても叱りつけても、解決が難しくなってきます。
子どもが反抗的な態度を見せる時は、心に不安や隠し事があるのです。追及しても、らちがあきません。必死で自分を守ろうとしているのですから・・・ 時によっては、自分は正しい・悪く無いと思っている場合もあります。

Sの事例の場合、行為を認めて諭す手法もあります。
「トイレットペーパーを飛ばすと面白いね。今度やりたくなったら相談してごらん。トイレットペーパーよりよく飛ぶ紙テープをあげるから・・・」・「紙テープなら、後片付けも楽だよ。でもプールでは使えないから、プールは縄でやってみよう!」
子どもの気持ちに寄り添う説得法ですが、大人にとってはしんどい方法です。

確かにウソをつかないことは大切ですが、何のためにウソをついているのかを、先ず理解してあげる必要があるのです。「ウソつきは泥棒の始まり」からスタートしても、子どものウソつきは治りません。


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