幼児教育を語るひろば

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個性と社会性

梅雨入り
東京も梅雨入りしました。例年より12日、昨年より17日も早いそうです。
梅雨には、どくだみの花が似合います。

ドクダミ
 どくだみ  (2011,5.27 写す)


個性と社会性
「個性を大事に!」と、多くの人が言います。特に教育に携わる人の口癖です。
私も、「子どもたちの個性を尊重して、主体的な活動の援助に努めなさい。」と、
保護者会などでよく話をしました。

でも、個性尊重には、2つの落とし穴があるのです。
1つは、単にわがままを助長して、身勝手な人間をつくってしまうことです。
もう1つは、「みんなのために・みんなと協力して」というような、社会性を育て
ないことです。

さらに、社会性と関連して問題があります。
主体的に生きようと思うと、いわゆるエリートコースからは外れてしまうのです。
それに、嫌でも受験勉強であくせくしないと、有名校には合格出来ません。
学校でも会社でも失敗したら、リターンマッチのチャンスは、滅多にありません。

「いまの子どもたちは、がまん強く無い・辛抱出来ない!」、大人はよく言います。
戦後新しい教育が実施されてから、60余年が過ぎました。
子どもたちは、自由に自分をはっきりと主張し、進んで行動するようになりました。
個性尊重教育の成果でもあります。

しかし、培っておくべきでありながら疎かにされたのが、がまんすること・辛抱する
ことだと言われます。つまり、社会性の基礎が築かれていなかったのです。
社会性には、自分を抑える・犠牲にする心が必要なのです。 これには、大人の
責任もあります。 子どもの個性(主体性)を尊重することは、子どもに不干渉で
あることと勘違いしていたのです。

「個性を以て尊しとす」(日下公人著)で、日下氏は、個性にも「前向きの個性」と
「後ろ向きの個性」があると言われます。 前者は仲間を啓発するような個性で、
後者は不満で駄々をこねるような個性だそうです。

前向きの個性は、独自の才能が発揮出来る豊かな社会を作ることが出来ます。
個性と社会性の融和が、可能になります。

ところで、なぜ私たちは、教育を受けるのでしょうか?
「エミール」の著者ルソーは、「子どもが教育を受けるのは、人間の義務を学ぶ
ためである。」と、言っています。
精神の解放・自由を説いたルソーが言ったことを、いま私たちも改めて考え直す
時だと思います。

個性尊重では、ややもすると自分の権利のみを主張する傾向があります。
でもこの「権利」の裏には、必ず「義務」があるのです。権利と義務は、楯の両面
です。ルソーも、個性と社会性の融和を説いているのではないでしょうか?

「長所を伸ばせ!」というのは、「個性を伸ばせ!」ということでもあります。
よく考えてみると、優れた長所を持つ人でも、短所が無いという人はいません。
それに、短所が無い・欠点が無い人間なんて、なんの魅力もありません。
立派な人とは、大きな長所を持ち、それが短所をカバーしている人のことです。

社会が平和で豊かであるためには、それぞれが他人の短所を責める前に、
少なくとも半分は自分に責任があるという謙虚さが必要です。
個性と社会性は、決して異質なものでは無いのです。


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