幼児教育を語るひろば

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最高の教育(1)

昔から京都の古美術商の経営者たちは、使用人に古道具や古美術品の本物に触れさせて、目利きの力を養ったと言われます。これとは違って、大工さんなど手先の技術で物を作る職人さんたちは、「業は盗んで覚えろ」と言います。
いずれも、最高の教育の基底にある真理だと思います。

施設設備が整った立派な校舎・校庭の学校、立地条件や周辺環境も申し分ない学校、そんな学校では、最高の教育が実施されているかというと、そうでもありません。
それは、学校は教育の入れ物に過ぎないからです。教育の大半は、入れ物では無く中身の教育活動(内容)です。本物の教育は、中身にあります。中身は、そこで学ぶ児童・生徒、指導する教職員、それと保護者や地域の人的環境によって支えられています。

学ぶ子どもたちは、十人十色、それぞれ違って個性的です。一人一人は違っていても、素晴らしい能力・特性の芽を、みんな持っています。その芽を大事に育てて、立派な大木に仕上げてやるのが、最高の教育なのです。


いまの子どもたちは、とても恵まれています。大人たちが築いた繁栄の中で、安心して生活をエンジョイしています。ですから、ともすると大人の言うまま・与えられるままに行動して、目利きの力を養うことを忘れています。大人の業を盗むことも、忘れています。それでは、自ら学ぶ意欲は育ちません。


最高の教育は、最高の教育の場から生まれます。優れた資質の教職員が集まる
学校は、その一つです。
教職員の資質は、平素からの教育(授業)研究は勿論ですが、教職員が切磋琢磨し合う職場の雰囲気の中で高められます。教師自身が、教育のプロとしての専門性を深める努力も必要です。

でも、それ以上に大事なものがあります。それは、児童・生徒への愛情と教育にかける情熱です。これが、教育に対する揺るがぬ使命感を抱かせるのです。子どもたちは、そんな教職員の後ろ姿を見て学びます。声を荒らげて、子どもたちを叱咤激励する必要はありません。 そういう後ろ姿を見せることが出来る人的環境のある場が、
最高の教育の場になるからです。


「桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す。」、という言葉があります。最高の教育の場には、多くの人が自然に集まることを教えているのです。

有名な「松下村塾」には、多勢の塾生が集まりました。松陰は、武士・町人の隔てなく塾生としました。そして一方的に教えると言うより、塾生たちとの議論を大事にしました。また学問だけで無く、農作業も塾生と共にしました。こんな松下村塾の教育方針が、多くの人が教えを乞いに訪れた理由だと思います。もちろん、吉田松陰の人柄に惹かれた人も沢山いたはずです。
今でも、最高の教育の場だったと言われる由縁です。


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