幼児教育を語るひろば

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バレンタインデー・チョコ談義

教え子のTから、バレンタインデーのチョコが届きました。メッセージカードには、「先生お元気でご活躍ください。ブログを読むのを楽しみにしています。」とありました。
彼女は私のことを気遣って、何かと話題を見つけてはメールをくれます。それに彼女は、私のブログの愛読者です。お陰でマンネリ化してきたブログを続ける意欲が、再び湧いてきました。

夕方にはMiさんが、お子さん2人を連れて子どもたちが作ったからと、手作りチョコを届けてくれました。
他にもS幼稚園の先生方(I・T・M)から、チョコレートとケーキを戴きました。それにM先生の息子さんのT君は、ハート形のホットケーキを作って添えてくれました。
すでに後期高齢者の仲間入りをした私に、バレンタインデーのチョコが届くとは、嬉しい限りです。

バレンタインデーにチョコを贈るのは、某菓子メーカーの謀りごとだと言われますが、
私には嬉しい謀りごとです。Miさんや教え子のT・幼稚園の先生方に感謝しながら、
幸せな1日を過ごしました。


チョコは、カカオの豆を炒って粉にしたものから作ります。ココアと、同じものです。
普通ココアと言うと、カカオの粉末を湯で溶き、砂糖と牛乳を混ぜた飲み物です。
チョコとは、異質のような気がします。調べてみると、英語圏の呼び名のようです。
ラテン諸国では、ココアに香辛料や砂糖を加えた飲み物を、チョコレートと言うの
です。 アメリカでは、カカオ豆の脂肪分を50%以上含むものを、チョコレートと
呼びます。日本も、アメリカ式のようです。


コロンブスは、カカオ豆を初めてスペインに持ち帰りましたが(1494年)、当時は
あまり利用されなかったようです。そしてスペインがメキシコに侵入した1518年に、
カカオ豆を火で焙って砕いたチョコラドルという飲み物があることを、スペイン人は
知りました。チョコラドルは、1520年頃からスペインでも珍しい飲み物として、
珍重されるようになりました。
その後1615年にスペインの王女が、フランス王ルイ13世に嫁いだ時、この飲み
物も持参して、それからフランスにチョコレートが広まりました。

1828年、オランダのヴァンホーテンが、アルカリ処理でカカオ豆の脂肪分を減らし
て、水や牛乳に溶けやすくした飲み物を作りました。それを、イギリスで「ココア」と
名付けました。1700年代末には、固形のチョコレート菓子が作られるようになりま
す。今のような板チョコ(ミルクチョコレート)は、1876年に作られました。
ゲーテの詩にも、練り物のチョコレートのお菓子が出てくるそうです。


日本では、明治初年に風月堂が「貯古齢糖」と書いた広告を出して、珍しがられたと
言われます。(その後「猪口令糖」と書いた広告も出た)
1903年(明治36年)第5回内国博覧会(大阪)に、森永太一郎(森永の創始者)が、
外国で製法を学んだ板チョコを出品しました。 1911年からは、板チョコが市場に
出回るようになりました。

以上チョコレートの歴史を、百科事典(世界大百科事典・平凡社)で調べてみました。


バレンタインデーに女性がチョコレートを男性にプレゼントするようになったのは、いつ
からでしょうか? 1965年発行の新潮国語辞典には、「相愛の男女が、互いに美し
いカードなどの贈り物をする習慣がある。」とあります。
1988年発行の学研カタカナ新国語辞典には、「女性から男性へ、愛の告白をして
よい日。」、そして1989年発行の福武国語辞典には、「愛の告白の日とされ、恋人に
贈り物をする。また、女から男に求愛できる日とも言う。」と載っています。
きっとこのあたりで、某菓子メーカーが目をつけたのだと推測出来ます。


バレンタインデーのチョコの売れ行きから、日本のチョコレートの消費量は多いと思い
ましたが、1位はドイツで国民1人あたり年間11.4Kgも食べています。
やはり欧米諸国が軒並み多い消費量で、日本は2.2Kgに過ぎません。
(13日付け朝日新聞による)

チョコ三昧の1日になりました。


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