幼児教育を語るひろば

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八百長

「八百長」の意味を、新潮国語辞典で調べてみました。

 通称八百長という八百屋が、相撲の年寄り某と碁を打ち、わざと1勝1敗に終わる
ようにあしらったことから起こるという。
(1)相撲でわざと勝ちを譲ること。
(2)内々示し合わせた上で、勝負を争うこと。なれあいの勝負。


調べてみると、八百長は相撲に縁のあることが分かります。
相撲そのものは古代からあったのですが、庶民に人気が出てきたのは江戸時代に
なってからです。
寺社の修理や建立資金を集めるために、見物料を取って勧進相撲を催すようになり
ました。 富岡八幡宮(江東区)は、江戸勧進相撲発祥の地として知られ、境内には
歴代横綱の記念碑があります。

ですから江戸時代相撲は、寺社奉行の管轄でした。
何しろ力持ちの力士たちですから、当時の大名たちは相撲取りを「抱え力士」として
雇うようになりました。つまり用心棒です。

そうなると当人たちも武士になった気で、紋服に両刀を差して歩くようになりました。
仲間・小者まで連れ歩いたと言われます。
今でも土俵入りには太刀持ちがいますし、関取には付け人がいます。力士たちは、
公の場へは紋服で出席します。当時の名残りが、見受けられます。

江戸時代の相撲取りは、スポンサーである大名たちの機嫌を損ねるわけには参り
ません。そこで勝つために、真剣に闘ったと言われます。

当時の名力士小野川喜三郎(1758~1808年)に、こんな話が残っています。

 ある大名に抱えられていた力士某が、主人から「小野川に勝ってみよ。 もし勝て
なければ出入りを差し止める!」と言われました。力士某は困ったあげく小野川を
訪ね、八百長相撲を持ちかけました。 すると小野川は、「馬鹿者!」と一喝して、
「相撲を見にきてくださるお客様は、八百長を期待して見にこられるのでは無い!」
と断りました。そして力士某は、小野川に負けました。気を落として引き上げた力士
某のところへ、小野川から使いの者が行って、 「お前の負けっぷりが気に入った
お客がいて、招待してくださるというので来るように。」と伝えました。


実は小野川がひいき客に頼んで、力士某を励ましたという話です。

相撲とりも人間、弱い面もいっぱい持っています。
「そもそも相撲は見世物だから、面白ければそれで良い。八百長ぐらいに目くじらを
立てる必要は無い。」と言う人もいます。でも相撲をスポーツとして、また国技として
大事に考えるならば、やはり八百長は許されません。

現役時代、私は運動会の度に子どもたちに言いました。
「ルールを守って最善を尽くし、勝敗にとらわれず全力で闘いなさい。 そして自分の
持てる力を、全部出し切りなさい。それがスポーツマンシップです。」 と。


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