幼児教育を語るひろば

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わが人生

特に優れたこともなく、並なことを平凡と言いますが、わが人生にはぴったりな言葉です。

「平凡」は、「へぼ」が転じた言葉と言われます。わが人生「へぼ」ではありますが、歩む道を誤ることなく、堂々と一歩一歩しっかり歩を進めてきたようには思っています。

「平凡な道を非凡に歩め」とも言いますから、「平凡」必ずしも見下げたものでは無いようです。


歳を重ねると、何事を為すにも億劫になります。億劫の「劫」は、長い時間のことです。それが億ですから、億劫とは気の遠くなるような長時間です。更に高年齢が加わるのですから、仕方ないことなのでしょうか?

曹洞宗大本山永平寺を訪ねた時に、修行中のお坊さんから、こんな話を聞きました。

「修行中の僧侶は、何事も億劫がってはならない!」と、つまり長い辛い修行から、決して逃避しないことが大前提だということです。

これは、私たち凡人にも言えることです。何事も億劫がっては、向上しないこと必定です。


物ごと思うようには、なかなか進みません。せっかく実行したのに結果が裏目に出たという経験は、いっぱいあります。

「裏目」は、予想とは反対になった時に使われる言葉です。元々は、サイコロから出た言葉です。

サイコロは、表が偶数なら裏は奇数になっています。つまり「裏目」は、表とは逆ということで、人生でも度々起こり得ます。


永平寺がらみで、「立派な人生」論です。

「立派」は、素晴らしい時に使われる言葉です。美しく優れていることや、文句のつけようも無い出来栄え、という意味もあります。

鎌倉時代初期に、道元禅師が曹洞宗を開祖しました。道元禅師は、比叡山延暦寺で天台宗を学び、その後臨済宗建仁寺で禅の修行に励み、1223年に宋に渡りました。

道元禅師は、帰国後 京都深草に興聖寺を建て、1244年には越前(福井県)に移って、曹洞宗大本山永平寺を開山しました。

このようにして道元禅師が曹洞宗の開祖となり、初めて一派を立てたことから、「立派」という言葉が生まれたと言われます。

何れにしても立派とは、もともと素晴らしい背景がある言葉なのです。私も「立派」な人生を、創ってみたいと思います。