幼児教育を語るひろば

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再 子供を見る目

同じ1人の子供でも、色々な見方が出来ます。

「ぐずで困るんですよ」と言われるお母さんは、きっと子供の動作の遅い面だけを見ているのです。

見方を変えれば、動作は遅いが繰り返し確かめながら、確実で誤りの無いように気をつけているのかも知れません。

悪いと見えた面も、よく見ると、何事もしっかりと身に付ける、良い性格の持ち主ではないでしょうか。

悪い面だけ、という子はいません。かえって、飲み込みが早く機敏と見えた子が、案外深まりに欠けて、外面は良くても確実さが乏しいという例は、よくあります。

子供のことは、出来るだけ多面的に捉えて、良い点を見つけるように努めて、励ましたり褒めたりするように心がけましょう。それが子供の悪い点をカバーして、良い方向に導く最良の指導法です。


このことは、子供を見る目に限りません。

インドに、「群盲象を撫でる」という諺があります。
ものの一部を見て、全体を見ない見当違いの評価のことを言います。

多くの盲人が、象を知るために像の体のあちこちを触ってみました。

ひとりは尾に触って、「象はほうきのようだ」と言いました。
ひとりは腹に触って、「象は太鼓のようだ」と言いました。
ひとりは目に触って、「象は玉のようだ」と言いました。
ひとりは背に触って、「高い杭のようだ」と言いました。
ひとりは耳に触って、「唐箕(風を送る農具)のようだ」と言いました。
いとりは頭に触って、「塊りのようだ」と言いました。
ひとりは牙に触って、「角(ツノ)のようだ」と言いました。
ひとりは鼻に触って、「大きな縄のようだ」と言いました。


それぞれ自分の触ったところだけから象を判断しました。

笑い話では済まされません。日本にも、「人は見かけによらぬもの」という教えがあります。人は外見から、その人の性格・才能まで決めつけてしまいがちです。誰でも、うわべだけでは判断できない意外な面を持っているのです。


有名な尾張の陶工(常滑焼きの)上村白鴎(通称八兵衛・1754〜1832年)は、ある時尾張藩主に招かれて尾張城を訪れました。
夏の暑い時期でしたから、ふんどしに作業衣を羽織った姿で出かけました。門を入ろうとしたら「そんな無礼な格好はならん!」と、門番に制止さられて通してもらえません。
白鴎は「そうか、別にわしの方から会いたいわけじゃない。」と、そのまま引き返してしまいました。それを知った藩主が、再度家臣を使いに出して登城を促しましたが、白鴎は相手にせず「殿さんはわしじゃなくて、これに会いたいんだろう。」と、礼服の裃を家臣に渡したと言います。
白鴎は普段から服装に無頓着で、ふんどし一つで仕事をしていました。常滑地方の裸踊りを「八兵衛おどり」と言うそうですが、彼が裸で踊ったことに由来します。


と、こんな逸話が残っています。

西欧には、「ボロをまとった少年を尊敬せよ」という言葉があるそうです。
「人を見る目」に、気をつけたいものです。