幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

忙しい学校


ゆり ( スカシユリ?・テッポウユリ? ) ( 2018, 6. 30 写す )


「ゆとり教育?」が批判されて 「詰め込み教育?」が復活したと思ったら、
忙しすぎる学校が問題になっています。

朝日新聞では、教員の働き方について3回の特集記事が組まれました。
(「オピニオン」欄で)

過労死ラインを超えて働く教師の実態も、紹介されました。多忙な学校の様子も、詳しく調べ上げていました。


私の現職時代を振り返っても(すでに20年余を経過)、学校は忙しかったように思います。私自身、私生活より学校を優先していました。

当時も、勤務時間が「セブン・イレブン」だと揶揄されました。教員が勤務時間を口にするのも、タブー視されていました。


教員の仕事とは何でしょうか?

授業が第一であることは、いうまでもありません。 教員と子どもの間には、教育内容が存在します。この内容がどのように子どもたちへ伝達され、受容され、あるいは発見の手助けになるかが、授業の大きな役目です。

そのために、授業の準備に多くの時間を費やしました。
先ずは子どもの個人差を明らかにして、それを最大限に発達させるようにしなければなりません。

そのためには、子どもの自由・興味・活動などを、できる限り尊重して、自発活動を最大限に発揮させる教育方法を考える必要がありました。


授業以外にも、多くの時間を取られました。

登下校の見守りから始まって、教室環境の点検整備・成績物などの処理・クラブ活動の指導・保護者への連絡や面談・地域行事への参加・職員会議や学年打ち合わせ会・研修会や研究会への参加・校内任務 (係活動や動植物の管理)・・・  と、確かに多忙でした。


学校は、勤務時間が組織的に管理されているようでされていないという実態があります。何よりも教員自身が、時間管理の意識が薄かったように思います。

ところで現代社会は、人間能力の多面的で高度の開発や人格形成を重視するようになりました。「ゆとり教育」でも「詰め込み教育」でも無い、新しい学校の任務について考える時がきました。

現代社会は、技術革新の急激な発展に伴い、益々機械化・組織化が進みます。人間疎外状況を深刻にして行くことは避けられません。

「考えない人間」が増加する中で、「考える人間」をどう育てるか?  教育改革の大きな柱だと思います。教員に対する期待も多くなるばかりです。

でも教員の最も根源的で重要な役割は、専門職であると同時に自身の人間的自覚を持った誠実な態度だと、私は信じます。

どんなに忙しくても、教員の能力が十分に発揮できる場ならば、忙しさは必ず克服できると思います。