幼児教育を語るひろば

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再 教育とは何か?

マスコミでも国会でも、連日大阪の森友学園問題が話題になっています。

 *国有地売却に関わる土地の価格問題。
   *小学校建設予定地の産廃土問題。
   *国と大阪府に提出した建築費の違い。
   *大阪府私学審議会に提出した申請書類の信憑性。
  など。

森友学園に関する疑問は、一向に解明されません。大阪府の松井知事は、森友学園の籠池理事長を「教育者として失格・・・」とまで発言しています。

一時は、安倍首相夫妻・鴻池元防災担当相、他にも多くの人が森友学園の教育を賛美していましたが・・・

森友学園の教育を良しとした背景には、国家崇拝 あるいは国家統制機構としての役割を、森友学園の教育に期待したからではないでしょうか?

マスコミなどの森友学園 あるいは籠池理事長への評価は、このところ益々悪くなってきました。金儲け主義・詐欺師・偽善者・権力欲・独善的・・・  そんな言葉が聞かれます。

今回の森友学園騒動を機に、「教育とは何か?」 その原点に立ち返って考えて見る必要があるようです。


「人間は、教育によって作られる。」 「生まれた時に私たちが持っていなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によって与えられる。」

ルソー (1712〜1778年  Jean Jacques Rousseau. ) はそう言います。
教育によって、どういう人間が作られるのでしょうか?

「教育基本法」第1条(教育の目的)では、こう述べています。

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として
必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければな
らない。


この目的を分析すれば、個人の形成と国民(社会人)の形成という二つの目的があることが分かります。

私たちは個としての人間ではあるが、他面また社会人・市民・職業人・国民としての人間なのです。

つまり 人間形成の目標としては、 個人と国民という二つの側面があるのです。個人と国民の生活の両立は難しく思えますが、決して矛盾するものではありません。もし矛盾があるならば、教育は相反目する人間を作り出すことになってしまいます。


国家主義を第1に掲げる森友学園の教育は、自由と平等を存在の基本とする個人の権利が犯される心配があります。特定の人間像を目指す教育には、教育目的が曲解される危険性が含まれるのです。

森友学園問題を機に、教育とは何か?    なぜ「教育勅語」が廃されたか?  
もう一度考えるチャンスにして欲しいと思います。