幼児教育を語るひろば

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アインシュタイン博士を思う

23日名古屋大学などの国際研究グループは、「ニュートリノは光よりも速い」と発表しました。そうなると、相対性理論では実現不可能と言われていた過去へのタイムトラベルも、可能となります。
まだ確証されたわけでは無いようですが、もし本当なら、アインシュタイン博士もビックリしていることでしょう。

1922年アインシュタインは来日して、約1ヶ月わが国に滞在しました。
日本の印象がよほど強かったようで、帰国後日本の子どもたちへ手紙を書きました。それは、こんな書き出しでした。

「私は日本の子どもたちへこの手紙を送ろうとしていますが、それには特別なわけがあります。私は美しい日本を訪ねて、その都市や家屋や、その山や森を眺め、そしてそこで祖国への愛を創りあげた日本の子どもたちを見てきたからです。私の机の上には、いつも日本の子どもたちが描いた彩色画の満ちている一つの大きな冊子が置いてあります。」(以下略)

彼は、日本がとても気に入ったようです。特に日本の子どもたちへの親愛の気持ちが、感じ取れます。また彼は、日本の教育にも関心があったようです。こんな言葉を
残しています。 「教師の最大の任務は、創造と知識とへの喜びを眼ざめさせること
である。」と。(「教師と生徒」の一文から) 

アインシュタインは1879年ドイツに生まれましたが、両親がユダヤ系だったため、幼少期はいじめられたようです。少年の頃から数学が得意で、後にスイスの工業大学で電気工学を専攻しました。やがて物理学の研究に転身して、卒業後は家庭教師や夜学校の教師をして生計を立てていました。スイスの市民権が無かったので、苦労したようです。

その後市民権を得て特許局の技師となり、その仕事の合間に理論物理学の研究に没頭しました。1905年、光量子仮説・特殊相対性理論・ブラウン運動の理論を、次々と発表しました。

1914年には研究が認められて、カイザーヴィルヘルム研究所物理学部長兼ベルリン大学教授と、プロイセン科学アカデミー正会員として迎えられました。

いわゆる「一般相対性理論」の完成は、1916年です。
私も理科の教師を目指していたので、アインシュタインについて勉強させられました。今もその時の資料を見ながら、この記事を書いています。

1921年にはノーベル賞を受賞し、翌年来日しました。
アインシュタインは、若い頃から戦争の無い平和な世界を唱えていました。
然し1933年、ドイツのユダヤ人排斥の難に遭い、アメリカに逃れました。
そしてB.ラッセルやH.G.ウェルズらと共に、「世界政府論」提唱者の一人としても活躍しました。
ただアメリカ政府からは、けむたがられる存在になって行ったようです。

アインシュタインの研究成果は、いまでも確証されていないものがありますから、これからどんな議論や新説が飛び出してくるか? 興味があります。
久しぶりにアインシュタイン博士の話題が、マスコミを賑わしています。