幼児教育を語るひろば

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心に残る日

昨日42年前に卒業させた子どもたちのクラス会が、日比谷の帝国ホテル・ブラスリーでありました。42年前の卒業生ですから、もう立派な紳士淑女です。ですから、子どもたちと表現するのは失礼です。
でも彼らが寄せ書きしてくれた色紙を見たら、「出席者 男子12名 女子8名」と書いてあります。何年経っても、「男の子・女の子」の集まりなのです。

文京区S小で、私が担任した最後のクラスです。私もこの子たちの卒業を機に、文京区から武蔵野市へ転勤しました。そんなこともあって、気にしながらもクラス会を開いていなかったのです。

今年の6月 私のブログに「昔の教え子から」というコメントが、アメリカ・ロスアンゼルスから届きました。発信者はI,S(旧姓)で、アメリカの大学を卒業してアメリカ人と
結婚しました。彼女は日本の教育関係のブログを検索していて、偶然私のブログを
見つけました。

それからメールのやり取りをしているうちに、「みんなと会いたい・ミニクラス会でもよいから開きたい」と言うことになりました。日本側のAUが、それを聞いて音頭取りとなり、I,Sの帰国に合わせてきょうのクラス会が実現しました。ミニクラス会のはずが、20人もの多数の参加となりました。

そんなわけできょうのクラス会は、私も待ち焦がれる思いでした。
地下鉄日比谷駅で下車して帝国ホテルに入った時は、今までのクラス会では無かった緊張感がありました。やはり、42年間という歳月の重みでしょうか?

5分前に会場へ着くと、入り口に何人かの成人が群がっていました。「多分この連中だな・・・ 」と近づくと、そのうちの1人が気づいて、「あっ! 先生!」と駆け寄ってきました。私もすぐに、彼女がAであることが分かりました。それから数人の紳士淑女に
誘われて、会場に入りました。

もう殆どが集まっていました。私は案内された席に腰を下ろして、おもむろに先生らしく会場内に目をやりました。みんな笑顔で懐かしそうに、私へ視線を送ってきます。
でも、殆ど誰だか分かりません。

会が進むにつれ、私が〇〇と気づいたり、向こうから名乗ってくれたりしました。
ISにもメールの写真と感じが違うので、つい「誰かな?」と尋ねる始末でした。
それが1時間も経つと、あちこちで「〇〇ちゃん!」の連発で、すっかり12~13歳の頃に戻っていました。

教え子たちの思い出話も「先生に怒られた・罰で居残りさせられた」という話が、一杯出てきます。 ふだんこのブログでも、「子どもを叱ってはいけない! 見守ってあげなさい!」などと書いてる私が、赤面の至りです。
でも不思議なことに、私自身も手を焼いた子・叱った子の印象が、大変強いことです。
(これはどのクラス会でも言えることです)

こうやって楽しい時間が、どんどん過ぎました。
自営業・会社経営・会社員・派遣社員・公務員・医師・小学校長・プロ歌手・・・ そして家庭を守る主婦と、それぞれがそれぞれの立場で頑張っていました。「人生は山あり谷あり」です。半世紀を生き抜いた教え子たちにも、色々あったことと推測されます。でもこうやって集まって昔に戻れるのは、生きている証でありその幸せです。

きょうのクラス会は、私の心に残る日となりました。それも爽やかな出来事として、心に残りました。いつまでも変わらない子どもたちの、誠実さや真剣に生きる姿に触れることができたからだと思います。
教師冥利に尽きる1日でした。