幼児教育を語るひろば

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惻隠の心

同窓会報を読んでいたら 「惻隠の心の再評価を」という、副理事長S氏の一文が
目に留まりました。

「惻」も「隠」も、心を痛めるという意味です。つまり人の苦しみに対して、心を痛める
ということです。孟子の教えに、因ります。S氏は、こんなことを書いていました。

「教育現場から若者を見ると、社会生活を送る上で必要な基本的知識が十分身に
付いていなかったり、社会から求められる倫理観が希薄であったり、あるいは人間
関係がうまく構築できない等の問題が顕在しています。」

「人は誰でも自己実現を願って、より良くなりたいと生きているのが通常です。
しかし、人は他人よりも 自分自身をまず大切にしたいとの欲が有るのが普通だと
認めたうえで、一方では己と同様に自分自身を大切に思う他人が、周囲には大勢
いることを認めることにより、自分が大切なら他人へ心づかいの [惻隠の心] を
芽生えさせ、共存共栄の発想が生まれてくるのだと思います。」

しかし実際には、自己保身・自己防衛に明け暮れしているのが現実だとも書かれ
ています。

孔子は惻隠の心を、「仁」と説いています。「仁は人として最高の徳である」、と言い
ます。それは他人の痛みを、わが痛みと受け止める心です。

元々人間にはそういう心が備わっていると、孟子は言いました。即ち、「性善説」
す。最近の出来事を見る限り、性善説は死語になっています。

惻隠の心を単に「憐れみの心」・「同情心」と捉えると、弱者と強者の関係になって
しまいます。そうなると、押し付けに過ぎません。 そうでなくて 「思いやりの心」・
「人間愛」と捉えると、平等な関係で人を愛するという心情につながります。

家庭生活でも社会生活でも、不合理・不条理がまかり通る世の中です。
孟子は、「惻隠の心は、仁の端なり」と言いました。私たちは実生活において、
「惻隠の心」こそ出発点であることを再認識しなければなりません。

2009,2.20    
わがブログも 今回で 
800回となります 
われながらよく続いたものと 感心しています