幼児教育を語るひろば

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過保護と愛情

先ず事例を、二つ紹介します。

(事例・1)
A君は24歳で就職して2年目、もう立派な社会人です。 ある日彼はこんなことを、
母親に相談しました。

A 「今度の日曜日に、同僚から会社の合コンに誘われたけど、どうしようかな? 
  参加した方が、いいかな?」
母 「会社の人が行くなら、参加したら・・・ いい人に巡り会うかも知れないし・・・」
A 「そうだね。参加してみようかな・・・」
  「ところで、何を着ていったらいいかな? やはりスーツかな?」
母 「服装はきちんとしている方が良いから、そうしなさい!」


一見なごやかな、親子の会話に思えます。 然し24歳になったら合コンの参加
・不参加ぐらいは、自分で判断して決めましょう!着ていくものも、自分で考えて
欲しいと思います。

ただ母親に相談する姿勢は、とても良いことです。相談というより報告できる関係
を、いつまでも持ち続けて下さい。


(事例・2)
1人っ子のB君は、昨年29歳で結婚しました。 実家から1時間ほどかかる所に
マンションを借りて、両親とは別居しました。

B君のお母さんは、最愛の息子をお嫁さんに取られたような気持ちになったので
しょうか? このところ、元気がありません。そしてこう私に、愚痴をこぼしていま
した。

「結婚したら、 Bはちっとも顔を見せなくなりました。電話をしても忙しいからと、
すぐに切ってしまいます。先日も好物の煮物を作ったので持って行こうとしたら、
食べるものがあるからいらないと断られました。忙しがっているので、疲れてい
ないか? 食事をちゃんと摂っているか? 心配です。」


「忙しい・・・」は B君の言い訳もありますが、心配する母親への「元気だよ!」と
いう 思いやりの言葉でもあるのです。

いずれにしてもお母さんの心配は、30歳の息子には余計なお世話になります。
実はお母さんの子離れが、出来ていないだけの話です。
子離れ出来ないお母さんは、子どもにとってとても負担になります。


過保護と愛情の境界線は、とても曖昧です。でも過保護が境界線を越えてしまう
と、子どもの自主性・独立性・社会性・・・ 等々を 奪ってしまうのです。

どうしたら、境界線を守ることが出来るのでしょうか? 

守れたかどうか? 判断するチャンスが2度あると、私は考えています。(私の経験
からで、教育学や心理学の裏づけがあるわけではありません。)

1度目は、中学生になった頃です。個人差があるのでどの学年とは言えませんが、
生活や学習面で子どもに口出しする必要が無くなった時です。 口出し不要なら、
合格です。

そうなれば、試しの子離れが出来たのです。今まで子どもにかけた愛情は、過保護
で無かった証拠です。

2度目は、高校卒業か大学入学の頃です。(18~20歳)  わが子の将来が、何と
なく見えてきます。もう子どもの歩みは、子どもに任せても大丈夫な時です。
そうしたら親は子どもから、完全に手を引かねばなりません。本当の、子離れの時が
来たのです。

「獅子の子落とし」と、言うではありませんか。もうこれから先の人生は、子ども自身
の責任です。千尋の谷からも、這い上がってくるような子どもに育ったかどうか? 
子育ての手腕が、試される時でもあるのです。

こうして無事に子どもを旅立たせることが出来たなら、今まで子どもに注いだ愛情は
本物です。子どもは、いくら可愛がってもよいのです。 ただ子離れ・親離れ出来る
関係を、築くことが大事なのです。

「親は無くても子は育つ」と、言われます。人間の生命力の強さを、信じましょう! 
また「渡る世間に鬼はいない」で、世の中言われるほどに心配することは無いもの
です。