幼児教育を語るひろば

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育児放棄症候群

「子育てが分からない」 「子どもが嫌い」 「子どもが怖い」 「どうして子どもをつくっ
たのだろう?」 ・・・・ こんな理由で幼児虐待 そして殺害に到る事件が、後を絶ち
ません。

「生活が苦しくて、子育てが出来ない」 「子どもを幸せにできるかどうか? 不安!」 
「外で働いている方が楽しい」 「自分の自由になる時間が欲しい」 等々、背景には
こんな気持ちがあるようです。

育児放棄というより、育児恐怖症かも知れません。いずれのしても「育児が楽しい!」
という声は、聞こえてきません。


今から半世紀以上も前、私の母の時代の話です。昔は、電気掃除機も電気洗濯機
もありません。もちろん、冷蔵庫も冷暖房設備もありません。 ですから当時の母は、
1日中掃除・洗濯・調理・その他の家事に追われていました。

私のきょうだいは4人で、一番下の妹は、終戦の年に生まれました。 母は和裁の
内職もしていましたから、子育ては大変だったと思います。 でも母は忙しい中の
僅かな隙を見つけて、私たちと遊んでくれました。

 (ここにとても大事な育児のヒントがあることを知って欲しいので、あえて私事を
 書かせてもらいます。)

母自身僅かな隙を見つけて、私たちと遊ぶのがとても楽しい様子でした。 それは
母の、息抜きの時間にもなっていました。子どもたちの方も、母の手が空くのを待っ
ていましたから、母の奪い合いで大変でした。

その僅かな時間に、私たちは母との会話を楽しみました。すでに小学生だった私に
は 「いま何を勉強しているの?」とか「お友だちと仲良くやってる?」とか、学校の
ことをよく聞いてきました。

二人の弟は母に甘えて、欲しい物をねだったり絵本を読んでもらったりしていました。
母も面倒がらずに、弟たちへ絵本を読んであげていました。

4人の子どもたちが母とくつろげる時間は、1日の内の30~60分くらいだったと思い
ます。 子どもたちにとっても最高の時間でしたが、母も楽しそうで幸せそうな様子で
した。


この僅かな触れ合いの中でも、母は子どもたちの成長ぶりを確かめていたようです。
「風邪をひかないようにもう1枚着なさい!」とか「外から帰ったら手を洗いなさい!」
とか、健康上の注意を忘れませんでした。こうして母は4人の子どもたちが、元気で
育って行く様子に安堵していたのだと思います。

その母が亡くなった時 私たちきょうだいは、大きな支えを外されたような気がしまし
た。私たちは、涙涙で母の葬儀を済ませました。(実は父の葬儀の時は、涙はあり
ませんでした。父も優しい人で、子どもたちに声を荒げたり手をあげたりする人では
無かったのですが・・・)


さていまは、オール電化 そして車社会です。お母さんたちも、家事に余裕が出来ま
した。家にばかり、閉じこもっている時代ではありません。外へ出て働く母親・自分の
ために時間を使う母親、だから子育ては保育所などの人任せという母親が増えてき
ました。それが育児から、目を逸らす原因にもなっています。子育ての楽しみを見出
すチャンスも、極めて少ないというわけです。

そうなると、子育てには無関心になります。子どもがまとわりつくのが、うるさいと感じ
るようになります。やがては、「育児放棄症候群」の仲間入りです。

というようなわけで、子育てが面倒になっているということは無いでしょうか? 子育て
は手作りの仕事で、手間ひまがかかります。機械化も合理化も、出来ません。極めて
原始的・非能率的な、生物的営みです。 
育児の楽しみも、わが子の肌と直接触れ
合ってはじめて得られるものです。昔のお母さんたちは、そうやって子育てに当たって
いたのです。

要は母親と子どもが、目に見えない丈夫な糸でしっかりつながっているか? という
ことです。糸を親子の絆・愛情と言い換えてもよいでしょう。