幼児教育を語るひろば

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続 実りの秋

用事があって友人のMと吉祥寺で会い、昼食を共にしました。彼は私のブログに、時々目を通してくれています。そのMが 「昨日のブログでは、何が言いたかった
のか?」と、私に聞きました。私は「人生の実りの秋は老年期だから、老人パワー
を主張したのだ。」と、答えました。

するとMは、「シャレにもならない! 今どきの若い人に笑われるぞ! 世阿弥の
「花伝」でも、人間の完成期は34~5歳と言っている。すでに600年以上も前か
ら、常識になっていることだ。」と言うのです。

昨日のブログで、私はアドルフ・ボルトマンの言葉を引用しました。彼は動物学者
で、スイスのバーゼル大学の総長まで勤めた人です。その人が 「老人期は個性
が高まり、個々人としての特殊性も際立ってくる時だ。」と言われるのですから、
信じないわけには参りません。

そこで 「老人期こそ一番充実して、個性が発揮できる時だ。」と、 Mの前で再度
力説してみせました。それでも彼は、一笑に付して受け入れません。私は帰宅して
すぐに、それこそ34~5歳の頃に読んだ世阿弥の「花伝(風姿花伝)」を探し出しま
した。すると 「年来稽古条々」の「三十四・五」の項に、次のような文がありました。

このころの能、盛りの極めなり。ここにて、この条々を極め覚りて、堪能になれば、
定めて、天下に許され、名望を得つべし、もし、この時分に、天下の許されも不足
に、名望も思うほどもなくば、いかなる上手なりとも、未だ、誠の花を極めぬ為手
(して)と知るべし。もし極めずば、四十より能は下るべし。それ、後の証拠なるべ
し。さるほどに、上がるは三十四・五歳までのころ、下るは四十以来なり。


これは世阿弥の父観阿弥の言葉ですが、社会に認められるようになるのは34~
5歳までだと言うわけです。才能があるものはどんな悪いj条件の中でも、この歳
までに頭角を現すことが出来ると言います。

観阿弥の場合は、「能の世界では40歳過ぎても名声が得られなかったら、才能が
無いのだから諦めろ!」 と言っているのです。

すると人間としての完成期は、〇〇代~〇〇代のようにある時期を指すのではない
ことに気づきます。人生の実りの秋は、連続した「今」に現われるのだと思いました。

そう言えばサムエル・ウルマンは、「青春」という詩で次のように詠っています。

 青春とは人生のある期間ではなく
 心の持ちかたを言う
  (中略)
 二十歳であろうと人は老いる
 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り
 八十歳であろうと人は青春にして已む  
 (作山宗久訳)

これが人生の「実りの秋」の、原点ではないでしょうか?