幼児教育を語るひろば

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広島の夏

「原爆の日」を忘れない
広島の夏は、厳しい暑さの毎日です。雨も少なく市内の降水量は例年の3割弱で、
水不足が心配されています。

それでも「原爆の日」が近づくと、8月6日を中心に平和を願う様々な催しが計画され
ます。市民はもちろん、全国から海外から、催しに参加する人たちが広島に集まって
きます。

1日の夕方から平和祈念資料館の東館で、「ヒロシマを朗読する しまってはいけな
い記憶 ~水を求められて~」と題した朗読会がありました。ひろしま音読会と広大
付属高校放送部の生徒が、資料館に寄せられた被爆者の手記や詩を朗読しました。

あらためて原爆投下への怒りを抱いた反面、深い悲しみに胸を締め付けられました。

広島・長崎では、「原爆の日」を迎える度に核廃絶を世界に訴えています。最近よう
やくアメリカやヨーロッパでも、核兵器の無い世界を提言するようになりました。

とはいえ世界中を見渡して見ると、核開発の動きはまだまだ停まっていません。
核拡散の危険が、いっそう高まっているのが現実です。

核保有国の人たちに(特に政治家に)、ぜひ広島・長崎の原爆資料館を訪れて欲し
いと思います。そして被爆者の声を、聞いて欲しいと思います。

2日の夕方原爆ドーム前を通ると、元安川のほとりから、美しい歌声が聞こえてき
ました。送り火を思わせるような発光スティックの明かりが、川面のあちこちを照ら
していました。

「祈りの夕べ 2008」という催しで、広島ジュニアオーケストラ・広島ジュニアマリ
ンバアンサンブルなどの演奏に合わせて、参加者が発光スティックを振りながら
歌っていたのです。静かに美しい声で、平和を祈念しながら・・・


静かなる証言者



写真は娘の家の近くにある旧宇品警察署です。いわゆる、「被爆建物」です。原爆により殆どの木造建築物が失われたため、現存する数少ない洋風の建物です。

爆心地から4640メートルの距離にあるのですが、原爆の爆風で屋根がはがされた
と言います。

政府は原爆症の認定基準を、爆心地より3Km以内で被爆した人と改めました。然しここ宇品地区(広島港周辺)は爆心地から約5Kmも離れているため、被爆しても救済されないでいる人たちがいると聞きます。

平和資料館の企画展のテーマが、「被爆建物は語る」でした。広島市に登録される
被爆建物等は、90ヶ所ほどあるそうです。原爆ドームの近くにある「福屋百貨店」や
「広島アンデルセン(旧帝国銀行広島支店)」、他に被爆電車・被爆シダレヤナギ等
が、パネルや写真で紹介されていました。

広島市の中央図書館に、アマチュア画家藤登弘郎さんが描いた戦前の広島の絵が
展示されていました。建造物が主で、44枚の水彩画です。当時の広島の町の様子、
人々の生活ぶりがよく分かります。これらが原爆によって一瞬の間に灰塵と化して
しまったのかと思うと、心が痛みます。

この夏は広島の被爆建物・橋・樹木等の静かなる証言を、ゆっくりと尋ねてみました。
特に娘の家がある南区の「猿こう橋」・「旧陸軍被支廠」・「旧陸軍糧秣支廠」・「被爆
シダレヤナギ」等々を、同区の資料を参考にしながら見てきました。

北京オリンピックが、始まりました。単なる国威発揚の場として終わらせず、開会式で
詠った「友遠方より来る また楽しからずや」の精神を大事にして、世界平和に役立つ
オリンピックにして欲しいと願っています。