幼児教育を語るひろば

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悪業から離れられない悲しみ

昨年9月、殺人事件があった川崎市の暗い地下道を、もっと明るい道にしようと、地元の中学生たちが、道の側面100m以上に渡って壁画を描きました。海をイメージしたその壁画は、地下道を通行する人たちからも、たいへん好評だったようです。

ところが台風9号が通り過ぎた翌日、その壁画にいたずら書きをされているのを見つけました。いたずら書きは、青ペンキのスプレーで60mにも及ぶそうです。中学校の教頭先生は「なぜこんないたずらをする気持ちになれるのか? 分からない。」と、
嘆いておられました。

本当に心無い行為です。目撃者の話では、若い男で2人組だそうです。おまけに、
書いた字も誤字だらけで、よほど無知・無学な連中のようです。

この種の事件は、日本中あちこちで起きますから、報道もローカル版で小さく扱われていました。どうして、こんな無謀で無軌道な行為が、繰り返されるのでしょうか? 
こういう愚か者たちは、十把一絡にして、無限地獄へ放り込んでやりたい気持ちに
駆られます。

でもいくら地獄へ追いやっても、浜の真砂と同じで、愚か者が絶えることは無いでしょう。そうならば、彼らを再生させる方法を考えるしかありません。どうしたら、再生させられるのでしょうか?

学校教育の力を借りるのでしょうか? 良いこと悪いことの区別は教えられるでしょうが、限界があるような気がします。

家庭教育の力を借りるのでしょうか? 善悪の判断は、幼児期にしつけるのが効果的であることは分かります。でも、家庭環境は様々です。100%期待するのは、無理だと思います。

親鸞聖人は、「悪人は悪業から離れることは出来ない。けれども悪人は、仏の教えを聞けば、心身に応えるものがあり、悪い心も和む。」と言われました。

多分彼らには、悪い心しかありませんので、仏の教えがしみ込み易いのだと想像します。馬鹿につける薬もありませんから、この際仏の力に頼るのが近道のようです。

現実問題としては、彼らの行為に対し私たちの憎しみは強いのですが、仏の道に頼るとしたら、誰が鈴をつけに行くかが問題です。あらためて、学校教育・家庭教育の力が、問われていると考えられます。