幼児教育を語るひろば

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教育法案の強行採決

教育改正関連法案は、延長国会で審議されるだろうと思っていましたが、昨日参院の委員会であっさり強行採決されてしまいました。どうも見通しが甘かったようです。

安部内閣は、決断が速いと褒めるべきなのでしょうか? それとも決断の名に値しない(国会議員といえども)、日本人特有の国民性による判断だったのでしょうか?

会田雄次氏(元京大教授)の<決断の条件>によれば、「日本人は優柔不断を美徳として、自ら決断する力が弱い。」のが、基本性格だと言います。

そして、「個人として独立性を持たず、孤独を極端におそれる反面、管理組織であれ同士的結合であれ、いかなる組織も集団徒党と化し、厚顔無恥、残虐の性格を露呈するのも、この基本性格の現われだといわなくてはならぬ。」と、説いています。

私は、強行採決などしないで、教育がもっと国民的な議論となるように、延長国会の中で努力して欲しかったのです。

日常生活の中では、首を傾げたくなるような問題や、青少年が関わる凶悪な事件が、相次いで起きています。中には教育と切り離しては考えられない、そして解決できない問題も沢山あります。

教育は、根本において人間問題です。だからこそ、教育法案を採決する前に、現代教育の全体像をはっきり捕らえる必要があるのです。それから教育の新しい理念を探って欲しいのです。

現在の学校の制度・運営の実態を理解することなく、教育改革を実現することは出来ません。改革を唱える以上、学校が現在に至るまでどのように変遷してきたかを、明らかにする必要があります。つまり、教育の政策や制度に、どのような影響を受けてきたかを知ることです。

教育は独立した組織といっても、歴史を見れば明らかなように、政治権力の態様、国や社会の文化形態、歴史的伝統などに規定されてきました。

それを踏まえて、学校制度・教育施設の役割や機能・学校組織の編成・教育内容や方法等の議論を、深めて欲しかったのです。そいう議論があってこそ、教育を阻害している要因も明らかになり、解決策も生まれてくるのです。

教育が、国家的・社会的な要請に応える人間の育成を目指すことは、否定しません。ただ、個人としての人間形成という側面もあるのです。両者の関係をどう結びつけるかも、今日の課題です。

教育再生会議からは、標準化されたカリキュラムを(それも、高度成長社会に合わせた能力開発を重視するもの。)、如何に効率的・能率的に学習させられるかという、方法論や技術論のみが聞こえてきます。

教育改革が、子どもたちに順応を強制し、点取り主義を助長するだけで、学ぶ楽しみ・喜び、創造する楽しみ・喜びを、奪うことがないように心から願っているのです。