幼児教育を語るひろば

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続 子育て・思いつくままに

 「子どもたちの言葉遣いが悪い」と、よく言われる。幼い子どもたちは、回らぬ口で親のまねをしながら、少しずつ言葉を覚えて行く。大人が(親が)正しいきれいな言葉で語れば、子どもたちもまた、正しいきれいな言葉で語るようになる。

 少子化のせいか、子どもたちを競わせるのを嫌う傾向がある。負けた者に、劣等感を持たせてはいけないという親心からだろうか? でも、人生1度や2度の失敗や敗北は、必ずある。むしろ、早く負け方上手の癖をつけて、回復力の強い子に育てた方がよい。

 親は親、子は子、と割り切った考え方が出来るのは、欧米人に多い。日本の子どもたちは、無意識の内に親を当てにしている。国民性として、済ませてよい問題では無いように思う。

 どんなに立派だと言われる人にも、短所や弱点がある。完全な人間など、あり得ない。もしいたとしても、何の魅力も無い。優れた人と言うのは、大きな長所を持ち、それが短所をカバーしている人のことだ。

 子どもは平気で約束を破る。しかし、自分から進んで交わした約束は守る。矛盾しているようだが、子どもの世界では通用する。矛盾に満ちているのが、子どもの世界だ。

 幼稚園から小学校頃の子どもたちは、おしゃべりである。ところが、帰宅しても家族不在の家庭が増えてきたので、家庭からおしゃべりが消えた。そこで子どもたちのおしゃべりの場は、学校だけになってしまう。「おしゃべりが多くて、話を聞かない。」と、先生方は嘆くが、こんなところに原因があるのでは?

 「食事のマナーが悪い」、という声もある。一家揃って食事をしながら、マナーについて注意しあう機会が、少なくなっているのでは無いだろうか? 特に、父親の欠けた
食事が多いのでは? と気になる。

 「子どもたちの運動能力が低下している」、「体力が無い」、こんな声も耳にする。子どもたちを、自動車で連れ回し過ぎてはいないか? 電車やバスでは、子どもたちを立つように指導しているだろうか? 自分のことは、自分の体を使ってこなしているだろうか? 子どものひとり立ちを妨げるようなことを、大人がしていないだろうか?

 「笑う門には福来る」、と言う。ほんとうに笑うためには、健康でなければならない。「健全な精神は健全なる身体に宿る」、とも言われる。この2つの諺には、相通じる
ものがある。

 教育に特効薬など無い。誇大広告にだまされて、高額な参考書など買って与えても、殆んどムダである。教育には積み重ねが必要で、時間もかかるし忍耐もいる仕事だ。昔から古美術商の経営者は、使用人に,本物の茶器や掛け軸等に触れさせて、
目利きの力を養ったという。教育にも似たところがある。

 みんな仲好しで、いじめの無い学級をつくるために。
 他を責める前に、少なくとも半分は自分に責任があると、反省しあうような人間関係を築くことが大事。それには、謙虚さのある子どもたちを育てることが必要不可欠。

 私たちは、心の中に天秤を持っている。常に、自分と他人をその天秤に乗せて、
調和を失わないように、うまくバランスを取っている。
 「友だちの悲しみ」が1方の皿に乗ったら、もう1方の皿には「可哀そうだ、どうして
慰めてあげよう。」という思いやりの分銅が乗る。また「世界に役立つ人になろう!」という大きな希望が乗ると、「志を遂げるまで頑張るぞ!」という決意の分銅が乗る。
 
 羽毛のようにデリケートな人の心も測ると共に、地球上の全ての人を乗せても、
 ちゃんと測ることが出来る心の天秤を、子どもたちが持って欲しい。


 旅行のため、しばらくブログは休みます。