幼児教育を語るひろば

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花巻の旅

大学の同期生3人で、雪見に行こうということになり、岩手県のほぼ中央部にある
花巻市郊外の「新鉛温泉」へ、2泊3日の予定で出かけました。

東北新幹線「新花巻駅」から車で約40分、案内書では山の1軒宿という触れ込みでしたが、どうしてどうして、近代的設備の整った大ホテルでした。

新鉛温泉の「鉛」の地名は、昔鉱山があり、金や銀が採れるとなると税が高くなるので、「鉛」にしたとのことです。江戸時代の話のようでした。

例年だと今頃は雪に覆われ、近くのスキー場も大賑わいなのに、あいにくの暖冬、
この冬は、スキー場も閉鎖されたままだそうです。

雪と寒さを覚悟して、それなりの服装・装備で出かけたのですが、3日間とも3月下旬の陽気、肩すかしをくったような思いです。林間の日陰に、数日前に降った雪が、粉砂糖を撒いたように僅かに残っているのが、せめてもの慰めでした。雪見で1杯を諦め、花巻は宮沢賢治の生地ですから、彼の足跡を訪ねることにしました。

「宮沢賢治記念館」では、ちょうど「風の又三郎」の企画展が催されていました。二百十日の日に現れた転校生の風の又三郎は、谷川の岸の学校の子どもたちと、10日あまり交流した後、突然去って行きました。

各地に残る「風の三郎」伝説が、ベースにあるようです。企画展では、谷川の岸の
学校の子どもたち、つまり花巻の子どもたちに、スポットを当てていました。

宮沢賢治は、岩手県を「イーハトーブ」と言いました。イーハトーブは、銀河空間・4次元宇宙であり、風と光に満ち溢れたドリームランドを夢見たようです。

「宮沢賢治記念館」から、「イーハトーブ館」・「童話村」を巡り、宮沢賢治の精神
・教え・足跡の一部に触れることが出来ました。

寺子屋の教育
童話村を出た所に、「花巻市博物館」がありました。ついでに立ち寄ったら、花巻地方の歴史や文化に関わる資料が、数多く収集されていました。

私は、「花巻の学問と寺子屋」という展示コーナーに興味を持ちました。特に「寺子屋教育」の資料が面白かったので、時間が過ぎるのを忘れました。

江戸時代の寺子屋では、「読み書き算」の基礎教育が行なわれていました、その中でも、「読み」・「書き」が主でした。算数・そろばんは、商業地域中心に行なわれていたようです。

寺子屋で、読み書きに使われた教科書は、「往来物」と呼ばれる書物でした。往来という言葉は、手紙、特に往復書簡のことを言います。寺子屋で使われた教科書が、当初、書簡形式をとっていたため、往来物と呼ばれるようになったそうです。

往来物と言っても、その種類は沢山あったようです。 そのいくつかを紹介します。

「商売往来」
最初に「凡商売持扱文字」(およそしょうばいもちあつかうもじ)として、証文など商売の取引きに必要な文字・数字・日記の類・大判・小判から銭までの貨幣の名称、貫・分・厘・毛などの、天秤・分銅の基準、米・粟(あわ)・稗(ひえ)などの雑穀類の名称の他、商店で扱う様々な商品の名称が記されていました。

さらに、「浪費をせずに、高利をむさぼらず、店舗をきれいにして、柔和に応答し、家業第一とする者は、富貴繁盛子孫栄華となることは疑いない。」と教えています。

商人のみならず、子どもの手習い教科書として、農村においても各地でよく読まれ、使用されたいたとのことです。

「百姓往来」
内容は、「商売往来」を手本として編集され、本文は「凡百姓取扱文字」(およそひゃくしょうとりあつかうもじ)で始まります。

農業用語を説いた後で、「みだりに山林の竹木を伐採せず、隠田をいたさず、正直
第一とすれば、子孫富貴繁盛家門平生となり神仏の冥利に叶う。」と教えています。

「諸職往来」
「それ 士農工商は国家の至宝、日用万物調達の本源なり。」で始まります。士農
工商、それぞれの本分を説いています。

「庭訓往来」
南北朝時代から室町時代頃に作られたと言われます。武家や上層階級の子弟が
学んだようです。実用からはやや離れ、歴史的・武士的な内容が多くなっています。

これらの他に、「OO往来」と付かないものもあったようですが、寺子屋の教科書は、
一般的には往来物と呼ばれていたようです。

雪の無い花巻の町で、こんな勉強をして帰りました。