幼児教育を語るひろば

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学問のすすめ (2)

福沢諭吉の年譜(部分)

1854年 長崎で洋学修行
1858年 蘭学家塾を江戸鉄砲州に開設
1859年 蘭学より英学が優れていることを知り 横浜で英学を学ぶ
1862年 遣欧使節に随行 ヨーロッパへ
1867年 「西洋事情」初編
1868年 蘭学家塾を芝新銭座に移転 年号にちなんで慶応義塾と称す
1872年 「学問のすすめ」初編
1875年 三田演説館開館 「文明論之概略」発行

明治政府の大事業の一つに「学制の起草・公布」がありました これに強い影響を与えたのが 当時空前のベストセラーだった「学問のすすめ」初編です 1871年に創設された文部省が 学制起草の最中の出来事でした

「学問のすすめ」の何が 人々を惹きつけたのでしょうか? それは 賢人と愚人の別は 学問の有無によって生ずると言い 「実なき学問」を斥けて 「人間普通日用に近き実学」を学ぶことを すすめていたからだと言われます

明治政府によって公布された学制の前文に当たる 「学事奨励に関する被仰出書(おおせいだされしょ)」に示された 教育の大方針は 「学問のすすめ」から学んだあとが はっきり表われています すなわち 1、国民皆学 2、自分のために学ぶ 3、実学の重要性 4、教育費の受益者負担 等がそれです

面白いことに 諭吉が緒方塾で学んでいた頃は 友人たちと大酒を飲んで議論していたのに 慶応義塾では 飲酒を悪事として禁止したそうです 彼は 「受教の費」として 入学金と共に一定の授業料を徴収しました 藩校や私塾では 水引きやのしをつけ 志として謝金を納めていました 慶応義塾では あえて「水引き・のしを用ゆべからず」 と但し書きをつけました 近代化・合理化の現われですね

諭吉は 「学問は高上にして風韻あらんより 手近くして博きを貴しとす」 と言いました 学問は手の届かない所にあるのではなく 身近にあって誰でも学べると言ってるのだと思います そして 人生に欠くべからざる学問を 「洋学の順序」としてあげています  (今日の教育内容が ほとんど網羅されています)

洋学の順序(要約)

1、エビシ(ABC)26字(日本の「いろは」)
2、読本(諸学の初歩入門と文法書)
3、地理書(己が生れし其の国を天地世界と心得る)
4、数学(「数学を知らざる者は 議論常にうかつなり」)
5、窮理学(物の性と働きを知る)
6、歴史(博く万国の歴史を読む)
7、修心学(是非曲直を明らかにする 礼儀を重んじる)
8、経済学(貧富の原因解明など)
9、法律書(正をすすめ 邪をとどむるの法)


諭吉は 洋学ばかりすすめていたように思われがちですが 漢洋いずれかをとるなどというのは 「弱き説」であり 両方同時に学んで上達すべしと 塾生たちを励ましていたそうです いずれにしても 慶応義塾が 一歩進んだ教育活動を整えていたことが よく分かりました

付録ですが 我が国最初の幼稚園は 1876年(明治9年)11月 東京女子師範学校に 初めて付設されました