幼児教育を語るひろば

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成長と社会的接触(遊び)

だいぶ前に「裸のサル ー動物学的人間像ー」(デズモンド・モリス著 日高敏隆訳)を引用して書いたことがあります
最近 様々な事件を見聞きする度に 37年前のこの動物学者の著書を あらためて紹介して 人は成長のどこでステップを踏み外してしまうのか 考える手がかりにして欲しいと思います (第4章 探索から)

 幼児がまだ小さいうちは、その社会的遊びはまず両親に向けられる。けれどその子が成長するにつれて、遊びの重点は両親から転じ、同じ年ごろの他の子どもに移るのである。子どもは若い「遊び仲間」の1員になってゆく。これは子どもの発育におけるひとつの重大なステップである。このステップは探索というものの意味からして、個人のその後の生涯にわたって大きな影響を持つ。もちろん、この柔軟な年ごろにおいては、あらゆる形の探索が長期的な影響をもっている。音楽あるいは絵画を探索できなかった子どもは、大人になったとき、これらのことをむずかしいと感じるだろう。
しかし遊びによる個人対個人の接触は、それ以外のものよりもっと重大である。子ども時代に音楽を探索した経験をもたずに、はじめて音楽に接した大人は、音楽というものをむずかしいと感じるかもしれないが、不可能とは感じないだろう。一方、遊び仲間のメンバーとして社会的接触をもつことをきびしく禁じられている子どもは、かれの大人としての社会的関係において、つねに自分が足かせをはめられているように感じることだろう。

 サルを使った実験が示したところでは、幼児期に隔離すると、親になって社会的に引きこもりがちになるばかりでなく、異性に対しても両親に対しても反抗的な個体になってしまう。若い仲間から隔離されて育てられたサルたちは、のちに年長の若者として仲間といっしょにされても、遊び仲間の活動に加わることができなかった。隔離された個体は、身体的には健康で、孤独な状態ではよく育っていたのに、グループ全体でやるつかみあいに加わることはまるきりできなかった。そのかわりかれらは、遊び部屋の片隅でじっとうずくまり、自分の体を腕でしっかり抱きしめたり、あるいは腕で眼かくしをしたりしていた。成熟したとき、かれらは肉体的には健康であったのに、性の相手に関心を示さなかった。強制的につがわせると、隔離されて育ったメスたちは正常に子を生んだ。しかしその子をまるで自分の体をはいまわる巨大な寄生虫のように扱う始末になった。かの女たちは自分の子を攻撃し、追いはらい、殺すか無視してしまうかしたのである。 (中略)

 もしこれら2つの基本的な時期のどちらかを両親が誤って扱うと、子どもはのちに重大な困難に陥ることとなる。初期の安全期は欠けたが、後期の独立期には適当な活動が保障されていた場合には、子どもは新しい社会的接触を作ることは容易だと感じるが、それを維持し深めることが不可能になるだろう。もし初期には安全さを十分に楽しんだが、のちに過度の保護をうけた場合には、子どもは大人になってから新しい接触を作ることをきわめて困難と感じ、必死になって古い接触にしがみつく傾向をみせるだろう。


事件を起こす人たちは 外見上 一般人と全く変わらないとよく言われます でも 注意して観察すると 交際嫌いで 社会的に不活発で 引きこもり傾向が見られます 
しかし 肉体的には 全く不活発ではありません ただ同じ行動に固執し その繰り返しに夢中になり勝ちです

このことについて 「裸のサル」では 育児の2つの異なる過程の (初期の内面へ向いた時期と 後期の外へ向いた時期) 育ち方を取り上げて 重要視しているのです