幼児教育を語るひろば

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改正児童虐待防止法の成立

19日の参院で、「改正児童虐待防止法」と「改正児童福祉法」が、全会一致で可決されました。

東京都目黒区の船戸結愛ちゃん(当時5歳)、千葉県野田市の栗原心愛ちゃん(当時10歳)などが、親から虐待を受けて死亡したことをきっかけに、ようやく国会も動きました。

これらの法律が成立したからと言って、虐待が無くなるわけではありません。でも子どもたちを守るための、小さな1歩です。

躾と称して体罰を繰り返している親たちへの、警告にもなるでしょう。無関心だった多くの大人たちも、少しは虐待防止に関心を持ってくれるのではないでしょうか。


改正された主な項目は、次の6点です。

 ① 躾としての親の体罰を禁止。

 ② 民法の「懲戒権」も、施行後二年をめどに見直す。

 ③ 児相に医師と保健師を配置。

 ④ 学校・教委・児童福祉施設職員に守秘義務。

 ⑤ 都道府県などは、親への再発防止を行うように努める。

 ⑥ 家族が引っ越した場合、児相間で速やかに情報共有。


こんな法律が無かった江戸時代の親子関係は、どうだったのでしょうか?
諺から探ってみました。

 *二度教えて、一度叱れ。

 *我が身をつねって、人の痛さを知れ。

 *可愛い子には、旅をさせよ。

 *親はなくとも、子は育つ。

 *親の因果が、子に報ゆ。

 *天知る、地知る、我知る。子知る。

 *好事魔多し。

 *善は急げ。


まだまだ沢山ありますが、昔の親はこれで十分だったのです。長たらしく子どもにお説教したり、体罰を加えたりするより、諺を日常の暮らしの中で自然と使っていたのです。

「故きを訪ねて新しきを知る」ことも、大事ですね。


子は宝です。子に過ぎたる宝無しです。「親思う心にまさる親心」と言います。子どもを叱る前に、ゆっくり10まで数えましょう。怒りは敵と思いましょう!



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子ゆえに迷う親心

「 子はかすがい 」と言います。夫婦は不仲になっても、子供への愛情によって縁が切れません。例え夫婦別れしたとしても、親子の愛情は変わりません。子供を引き取った親は、むしろ夫婦別れする前より子供との結びつきが深まるものです。

「 子 」とは親から生まれた者のことで、基本的には「 親 」と対立する概念です。「 子 」を「 子供 」と表現しても意味は変わりませんが、「 子 」の方が、「 子供 」より古風な表現に感じられると言われます。
( 中村明著・「 日本語 語感の辞典 」・岩波書店発行による )

「 子がある 」 → 「 子供がいる 」
「 子を連れて 」 → 「 子供を連れて 」
「 子を育てる 」 → 「 子供を育てる 」

「 子供 」は、「 大人 」と対立する概念です。

そんな区別は別として、人間関係で親子関係ほど深い絆で結ばれているものはありません。でもそれだけに、多様複雑な関係でもあるのです。両者には、信頼や甘えの気持ちがあるためかも知れまん。


「 子は三界の首かせ 」という諺があります。子を持つ親は、子を思う心に一生自由を束縛されるという意味です。そこから、「 子宝脛が細る 」というような諺も生まれました。


仏教では、生前の罪により餓鬼道に堕ち、絶えず飢えと渇きに苦しめられる亡者のことを  「 餓鬼 」  と言います。   転じて子供を卑しめていう言葉になっています。

「 子は厄介の首かせ 」・「 親の心子知らず 」 などの諺は、親がどんなに深い愛情を注いでも、子は勝手気ままに振舞って、親を心配させたり嘆かせたりするということを訴えています。

でも、「 瓜の蔓に茄子はならぬ 」と言います。親の因果が子に報いるのですから、子供だけを責めるわけには参りません。

子供は、親の後ろ姿を見て育ちます。「 子を持って知る親の恩 」というように、子供は自分の子を育てるようになって初めて子育ての苦労が分かり、改めて自分を育ててくれた親の苦労を知るようになるのです。


親はわが子可愛さのあまり、時に理性や分別を失って叱ることがあります。でもそれも、子を思って悩む親心の表れです。

 人の親の 心は闇にあらねども
          子を思う道に 惑いぬるかな
  ( 藤原 兼輔 )


子ゆえに迷う親心ですが、「 子を視ること親に如かず 」です。



子は宝

芙蓉 ( フヨウ )
スイレンのこともフヨウと言うので、木芙蓉と呼んでいます。
10年以上も前に千川上水沿いから紅白2種の芙蓉の種を失敬してきて蒔いたのが、今やわが家の庭をわが者顔に占拠しています。
例年8月初旬には咲き始めるのですが、今年は日照不足のせいか昨日から咲き出しました。
一日花ですが毎日次から次へと咲くので、9月になっても楽しめます。



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子は宝
最近親が子供を虐待する事件が多発していますが、どうしたことなのでしょうか?   次代を背負う子供たちこそ、家庭の宝・国や社会の宝のはずです。

厚労省は、2016年度全国の児童相談所が対応した児童虐待の実態を公表しました。それによると虐待を受けた子供の件数は、122.578件もありました。1990年以降、毎年増加の傾向です。

2015年度には虐待によって死亡した子供が、52人もいました。
(無理心中などは除く)

万葉集に、山上憶良の有名な歌があります。

「 瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲ばゆ 何処より来たりしものぞ 眼交 いにもとな懸かりて安眠しなさぬ 」

「 銀も金も玉も何せむに 優れる宝子にしかめやも 」

親が子に暴力を振るうとは、通常は考えられないことです。でも虐待は現実の出来事です。社会の、そして人の心が病んでいる証です。

虐待を防ぐには、多様な原因を考えると簡単ではないと思います。先ず行政が、児童福祉対策により力を入れて欲しいと思います。そして虐待の心配がある家庭や親へのきめ細かな援助や対策を、心から期待してやみません。



免疫力

免疫とは、病原菌や毒素に抵抗する性質が出来ていて、 発病しないことを言います。

比喩的には物事の厳しさや障害に遭遇しても、何回も経験しているので慣れていて、それを乗り越えられることです。言い換えれば、艱難辛苦に出会った時の心的抵抗力が身についていることです。

最近の若い人たちは免疫力が弱いので、勉強でも仕事でも、苦しいとそれに耐えられずにすぐ放り出してしまうと言われます。

その原因は、いろいろ考えられます。

先ず豊かな時代ですから、幼い頃に甘やかされて育ちます。厳しいこと辛いことはみんな大人が代行して、自身が苦労することをあまり経験したことがありません。ですから厳しさや辛さに対する免疫力が、培われていないのです。

その上 成人してからも、あまり先輩や上司から厳しく指導されることがありません。注意・指示・命令・評価・・・  などの機会も少なく、心的抵抗力も身についていません。だからちょっとした事件に出会っても、すぐに学ぶ意欲や自信を失くしてしまうのです。

「わが子に幼いうちから苦労させるのは忍びない」・「そんなに早く競争社会に出したく無い」・「出来るだけ失敗したり負けたりするのは避けてあげたい」・・・   
現代の親心でしょうか?  

不思議なことに苦労した親ほどわが子を憂き世の荒風に晒さずに、温室の中で育ててしまいがちです。子供は、無菌室の中で世間知らずのままに成長します。

「失敗することは怖くないが、苦しさを避け、努力しないで成功するほど怖いものはない。」と、先人は教えます。

「免疫力は、人生経験によって身につく。」 とも言われます。

転んでもよいから、駆けっこをさせてみましょう。そのうちに転んだら起き上がって、再び駆けるようになります。転ぶのに免疫が出来て、再びやり直す力がついてきます。

「石の上にも三年」  少し時間はかかりますが、可愛い子には旅をさせましょう。そして道中の厳しさ・苦しさを体験させて、世の荒波を乗り越える力をつけてあげましょう!


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 弘前のねぶた



お母さん

子供が育つ条件の中で一番大切なのは、「安心してくつろげる場」 即ち「安らぎの場」があることです。子供はそこで、安定と落ち着きを得ることができます。

安らぎの場を提供することができるのは、他ならぬお母さんです。お母さんの笑顔、と言った方がよいかも知れません。

お母さんの笑顔は、母と子の人間関係から生まれます。二人の間にかもしだされるぬくもり、愛情が笑顔を招きます。

笑顔の母は、声も優しいし態度も穏やかです。母親の笑顔を生み出す元は、円満な家族関係にあります。何よりも夫婦仲が良いことです。



    おかあさん
 ろうせきで
 おかあさん
 おかあさん
 おかあさんとかいた。
 かぜがさらりとおかあさんにふいた
 おはなしをしているおともだちが、
 ふみそうにした。
「ふんだらあかん」と、ぎゅっとにらんだ。
 みんなは、じをみて
 足をひっこめた。
         (小3 斉藤清江作  東井義雄著作集から)


ゴーリキー (1868〜1963年 ソ連の作家)の長編小説「母」は、貧しい工場労働者一家の母と息子の生活を描いています。

息子はやがてプロレタリア階級解放のための地下運動を始めるようになります。息子の活動に関心を持たなかった母も、次第に息子の行動を正しいと思うようになります。

ついには自分も息子の地下運動に参加するようになり、その同志たちもわが子のような愛情で包んで援助します。

息子が投獄されてからは、息子の代わりになって運動の先頭に立つよになりました。母子の深い絆を題材にしたプロレタリア文学の先駆けです。


   貧しき母
 人はなべてかなし
 さ夜ふけし夜のみち
 米何升を買ひてかへるもの
 あにわが母のみならんや

 われはけふ
 しほ鮭のひときれを
 買ひてかへるまづしき人を見たり
 顔あをざめて
 この世にいまは為すことなきが如けれど
 背には子を負へり
 何も知らざるをさな児よ
 汝が母の背はあたたかくして
 汝が母がくるるものはうまきかな

 ねむれ、いとし児
 みちたりて
 ねむれいとし児
 なが幼児なる日
 母は世にも貧しきくらしをなしつつ
 なをそだてあぐるなり

 すべて人は労苦す
 すべてのものはみなかなし
 されど子をまもる母はありて
 おのれひときれの塩鮭を
 紙につつみて買へども
 なほ世のどん底に
 死なせずしてとらふる力あり
 なほ世のためになさしむるなり
 いとほしめ汝が児を
 おのがじし
 わが児を負へる
 ちまたの母は涙ぐましきかな。
   (中川一政作 1893〜1991年 画家でもある)


    母の瞳
 ゆふぐれ
 瞳をひらけば
 ふるさとの母うへもまた
 とほくみひとみをひらきたまひて
 かあゆきものよといひたまふここちするなり


   母をおもふ
 けしきが
 あかるくなってきた
 母をつれて
 てくてくあるきたくなった
 母はきっと
 重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだらう
    (いずれも八木重吉作 1898〜1927年)