幼児教育を語るひろば

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平和学習

きょうは、広島「原爆の日」です。広島に原爆が投下されてから、すでに72年が経過しました。平和祈念式典のテレビ中継を見ていましたが、広島は72年前と同じように夏の日差しが照りつけていました。

松井広島市長は、平和宣言の中で「原爆は絶対悪である」と言いました。72年前、 原爆が投下された日の様子を「正に地獄」と表現し、 為政者は本気で核兵器廃絶に取り組んで欲しいと訴えました。

先月国連で「核兵器禁止条約」が、 加盟国122カ国の賛成によって採択されました。 核兵器禁止は、被爆国日本の長年の願いだったはずですが、 アメリカの核の保護下にあるため日本政府は採択に参加しませんでした。

広島・長崎の被爆者は、 日本政府の態度にもちろん失望し落胆しました。  でも国民の間からは、あまり批判の声があがらないのはなぜでしょう?  平和に慣れすぎて、核兵器の怖さを忘れてしまったのでしょうか?  気になりました。


平和公園内の「平和記念資料館」が、リニューアルされたと聞きます。 展示物や展示場の劣化もひどくなり、従来の展示法では不十分なところも出てきたようです。

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原爆ドーム ( 平和公園で 2017, 6. 2 写す ) 

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動員学徒慰霊塔 ( 平和公園で 2017, 6. 2 写す )


平和祈念式典では、子供代表の「平和への誓い」もありました。広島の子供たちは、小学校時代から原爆投下の背景や核廃絶への取り組みを「平和学習」で学びます。ですから広島で育った私の二人の孫たちも、「平和学習」は身近な存在でした。

2006年8月6日、私は広島の娘の家に滞在していました。当日二人の孫は、原爆の日の「平和学習」のために登校しました。

孫たちは、広島市教委が作った「平和への誓い」という文書が収められたレターファイルをもらって帰宅しました。私はその一つをもらって帰京し、今でも大事に保存しています。

「平和への誓い」には、次のような一文があります。

  世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。
  そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。



きょうの子供代表の誓いの言葉にも、この思いは受け継がれていました。
広島の子供たちは、「平和学習」が身についています。でも東京の子供たちには(広島・長崎以外と言った方が適切か?)、馴染みの無い学習です。

然し最近、「平和学習」を広島・長崎以外の人たちにも学んでもらおうという動きがあります。東京でも、大学生が中心になって声をあげているようです。「平和学習」の輪が、全国に広がって行くことを願っています。


自然災害でもそうですが、直接経験しないとその怖さが分かりません。ましてや原爆の怖さなど、広島・長崎で生き地獄を目にした被曝者にしか分からないことです。

核兵器の怖さは、長期に渡り放射線を放つことです。被曝から72年も経っているのに、未だに白血病や癌を発病する人がいます。

72年も過ぎると、多くの被爆者が他界してしまいました。怖さを伝える人が少なくなりました。核の怖さが、風化してしまうのが心配です。


広島への原爆投下から72年目の「原爆の日」、「平和への誓い」を新たにしたいと心から願っています。



夏休み二題

夏休みの短縮
全国的に小中学校の夏休みが、短縮される傾向だと言われます。 理由はゆとり教育の改正後、授業時間数が増えたためにどこかで補う必要が生じたことに依るようです。

それに小学校では、2020年度から英語が正式な教科になることも挙げられます。授業時間を確保するのに、夏休みを短縮するのが早道というわけです。

夏休みを短縮して授業時間を確保すれば、通常の1日当たりの時間数を減らすことが出来ます。 そうなれば教員の長時間労働も緩和することが出来るので、一石二鳥ということになりす。

確かに授業時間は確保出来るのですが、実際に夏休みを減らされる子供たちはどう思っているのでしょうか?  決まりの多い学校生活から解放されて、ノンビリ自由を楽しむ時間が持てる大事な時期ですのに。

夏休みは、海や山へ出かけて自然と親しむ良い機会です。 田舎へ行って、昆虫採集や植物採集に夢中にもなれます。家でゴロゴロしていても、友だちと遊びに出かけても、授業の心配はありません。

子供たちには、夏休みならではの体験もあります。 彼らにとって夏休みは、出来るだけ一杯あった方がよいのです。

夏休みの短縮は、そう考えると大人の都合だけで決められたような気がしてなりません。


英語が正式な教科に(小学校)
教え子で小学校中堅教師の M が、「この夏休みは、英語の研修会で缶詰になります。」と、ボヤいていました。2020年度から、小学校で英語が正式な教科となります。そのための準備のようです。

各地の教育委員会では、 英語力の高い教師の確保に力を入れることになりました。採用試験で英語力が高いと認められれば、加点されたり一部の試験を免除されたりします。英語が苦手だった私など、とても採用されそうもありません。

小学校で英語の指導が必要かどうかは、昔から議論されていました。従来は「小学校では、まず日本語をしっかり学ぶべきだ。」が、主流派でした。

ひと口に英語力と言いますが、英会話に重点があったように思います。
「日本人は、中・高・大学と英語を10年間も学んでいるのに、 会話が得意でない。」 と、よく言われます。

だから 「英語で大事なのは会話力だから、言葉は低年齢の時から教えた方がよい。」 ということになります。


以下は私の個人的な意見ですが・・・

小学校時代は、日本語をしっかり学んだ方がよいと思います。世界でも難語と言われる日本語です。表現も多様ですし(文字もカタカナ・ひらがな・漢字とある)、意味も使い方も複雑です。その上、言葉自体に奥深いものがあります。

日本語の獲得は、日本人としての思考の土台づくりでもあるのです。 全ての学習の基礎となります。もちろん英語力習得の基礎にもなります。英会話をマスターするのは、中学校以降で十分間に合うと思います。


英語嫌いの逃げ口上でしょうか・・・



友を選ばば

友を選ばば書を読みて、六分の侠気四分の熱。
                                 (与謝野鉄幹)

「うちの子は、どんな子と付き合っているのか?」
 親として一番気になることです。

「朱に交われば赤くなる」・「類は友を呼ぶ」    
 友だち選びは、大げさに言えば子供の人生を左右し兼ねません。

では 「良い友だち」・「悪い友だち」 とは、どういう友だちのことでしょうか?

友だち関係には、「類似性」と「接近性」の二つの原則があります。

前者は性格や家庭の事情が似ている、趣味や悩みに共通点があるということです。後者は、同じ学校・クラス、家が近いなどの交流範囲が狭いことです。

ここでとても大事なことで、親が気づきにくいことを紹介します。

それは友だち関係というのは、一方通行では成立しないということです。友だちを選ぶと同時に、友だちから選ばれるという必要条件があることです。

大げさに言えば、「友は第二の自己」なのです。

孔子は、友だち選びでこう教えています。 「 益者三友 損者三友 」

良い友とは、正直な人・誠実な人・博学な人のことです。
悪い友とは、体裁を繕う人・当たりさわりない不誠実な人・口先だけの人のことです。

「人生より友情を除かば、あたかも世界より太陽を除くに等し。(キケロ)」

「友は喜びを2倍にし、悲しみを半分にするものである。(シラー)」


友情に対する危険信号もあります。

「恋は盲目」・「ひいきの引き倒し」
 相手をよく見ず、盲目状態になってはいけない。

「会うは別れの始め」
 物事は変転して止まない。

「恩を仇で返す」・「昨日の友は今日の敵」
 人の心は、変わりやすい。



子供の貧困率

海の日

 津軽の海 ( 日本海側 2017, 5. 25 写す )

       海    
 海は広いな 大きいな
 月はのぼるし 日が沈む

 海は大波 青い波
 ゆれてどこまで 続くやら

 海にお舟を 浮かばして
 行ってみたいな よその国

             ( 詩 林柳波  曲 井上武 )


子供の貧困率
厚労省の「国民生活基礎調査」によると、2016年度 12年ぶりに子供の貧困率は、13.9%と改善されたそうです。従来6人に1人が貧困とされていたのが、7人に1人になりました。

「貧困率」 とは、世帯収入から国民一人一人の所得を試算して順番に並べた時、真ん中の人の所得の半分(貧困線)に届かない人の割合のことです。 「子供の貧困率」は、18歳未満でこの貧困線を下回る人の割合です。

先進国の中で日本の子供の貧困率は、意外と高いのです。ドイツは9%、イギリスは10%、フランスは11%です。お隣の韓国も10%で、世界の平均は13%です。北欧の国々は福祉国家と言われるだけあって、デンマーク・フィンランドが4%、ノルウエーが5%です。


ある母子家庭の子供の詩 ( 小学5年 男児・東井義雄著作集より )

     
 おかあさんは
 いっしょうけんめいはたけをうっている。
 ぼくが
 「ええもんおくれ」といっても
 「あめかっておくれ」といってみても、
 だまってはたけをうっている。
 カチン カチン
 くわが石にあたっても、
 石もひろわないで、なんだか かなしげに
 だまって、はたけをうっている。
 なにか心配があるのだろうか。
 なにか
 かなしいことがあるのだろうか。
 しんだおとうさんのこと
 考えているのだろうか。
 ぼくはなんだかかなしくなって、
 「石ひろってあげようか」
 といった。
 「ふん」と
 母がへんじをしてくれた。
 なんだか、
 とても とても うれしかった。



先人たちの教え 

核兵器禁止条約採択に思う
7日 国連加盟193ヶ国中124ヶ国の賛成で「核兵器禁止条約」が、採択されました。「核なき世界」は、被爆国日本が率先して訴えなければならないことです。その条約交渉を、日本はアメリカの顔色を伺ってボイコットしました。残念と言うより、情けない気がします。

アメリカの顔色など気にせずに、 もし安倍首相が条約推進に協力していたら、
今回の都議選でもあのように惨敗することは避けられたでしょうに・・・

国連事務総長は、「核なき世界という共通の願いに向けた重要な一歩だ」と言われます。核保有国が賛成しない現状では前途多難な道のりですが、いつか核兵器が地球上から無くなることを信じてこれからも訴え続けましょう!



先人たちの教え

ルソー 
 ( Jean Jacques Rousseau, 1712〜1778 年 フランスの思想家・小説家
  「エミール」の作者 )

自然の秩序の中では、人間は凡て平等であって、その共通の天職は人間たることである。そして人間として立派に教育された人なら誰でも、何をやっても出来ないということは無い筈である。私の子供が軍人になろうと牧師になろうと弁護士になろうと、それは少しも私の知ったことではない。両親の職業を襲がせる前に、自然は子供に人間生活に対する義務を果たすことを要求する。生きることこそ、私が彼に学んで欲しく思う職業である。私の手から出た時には、彼は法律家でもなければ軍人でもなく僧侶でもないであろうと私は保証する。彼は先ず第一に人間であろう、彼は人間としてなすべきことは何でも必要に応じて学ぶであろう。運命が彼の位置を変えようとしても無駄に了るであろう。彼は常に彼の正当な位置を失わぬであろう。 ( 『エミール』 第1編 )


ペスタロッチ
 ( Pestalozzi, J. H 1746〜1827年 スイスの教育者 )

王座であっても、木の葉の屋根の陰に住んでいても、すべて同じ人間である。 
( 『隠者の夕暮れ』 )

善悪についての言葉の説明を、日常の家庭的な場面や環境と結びつけるようにしなさい。十分にそれらに基づいているかに留意しなさい。 
( 『ゲルトルート・児童教育法』 )


スペンサー 
 ( Herbert Spencer 1820〜1903年 イギリスの哲学者・社会学者 )

人々が完全な社会生活ができるようにすることが、教育が果たさなければならない務めである。

人間生活を構成している生活活動に対応して、次のような五つの教育が必要である。
 ① 直接の、自己保存のための準備をする教育。
 ② 間接の、自己保存のための準備をする教育。
 ③ 親となる準備をする教育。
 ④ 市民となる準備をする教育。
 ⑤ 生活の、いろんな洗練を準備する教育。 ( 『教育論』 )


エレンケイ 
 ( Ellen Key 1849〜1926年 スゥエーデンの思想家 )

わたしの夢の中の学校では、そこに成績簿が無く、賞与が無く、また試験が無いであろう。ただ卒業の場合だけ試験があるだろう。しかし、それはただ口頭だけのものに過ぎないだろう。細目に亘る知識の試験では無くて、全体としての教養如何が判定されるだろう。 ( 『児童の世紀』 )


デューイ 
 ( John Dewey 1859 〜1952年 アメリカの哲学者・教育学者 )

学校そのものを、そこで課業を学ぶための隔離された場所ではなく、生きた社会生活の純粋な一形態たらしめるところの手段として、考えねばならないのである。 ( 『学校と社会』 )


ブルーナー
 ( Jerome Seymour Bruner 1915〜2016年 アメリカの心理学者 )

最初の、そして最も明白な問題は、普通の教師が普通の生徒に教えることができる教育課程であると同時に、いろいろな研究分野の基礎的な、つまり、その根底にある原理を明確に反映している教育課程をどのように編成するかということである。 ( 『教育の過程』 )