幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

学びの場

平昌五輪
羽生・宇野両選手が、フィギュア・スケート競技で金と銀のメダルを揃って獲得しました。
多くの人たちが、テレビ中継に釘付けになって応援しました。素晴らしい快挙に、日本中が大興奮です。


学びの場
オリンピックで日本選手が活躍する様子から、子供たちは、様々な刺激や影響を受けていることと推察します。 ついでに、グローバルな文化を自分の目や耳で直接吸収していることでしょう。 

教育は、学校だけで行われているのではないということです。 オリンピックも大事な教育の場になっているのです。つまり子供たちは、人的・物的交渉を持つすべての環境から学んでいるのです。

彼らが所属し生活している社会事象のすべてから、  人間社会の伝統的・文化的すべての行事から、さらには自然界の諸々の事象からも、学びの場は成り立っているのです。

ですから民主主義社会の望ましい成員となるためには、 学校教育の場だけではなく、人生全体を通じてあらゆる場面で、自己の可能性に挑戦する永続的な学習意欲を持つことが強く求められます。

これはすべての子供たちに、いやすべての人間に対する要請です。オリンピック精神にも、通じるものがあるのです。オリンピックは、自己の人間形成に対する強い意欲や態度を啓発する場でもあるからです。


ところで、学びの場は至る所に存在します。見失ってはなりません。そして教育環境を見つけ出す力が求められます。


昔から京都の古美術商の経営者たちは、使用人に本物の高価な掛け軸や陶器に直接触れさせて、目利きの力を養ったと言われます。

教育もそうありたいと思いますが、ただ有名校や学歴だけを追うようでは本末転倒です。


平昌五輪から連想しました。


豊かな環境

平昌五輪
高梨沙羅ちゃんが、ようやく銅メダルを取りました。テレビ中継を孫の合格発表を待つような気持ちで、ハラハラしながら見ていました。2回目のジャンプで、3位以内が決まってホッとしました。

昨夜は、他にもスピードスケート女子の高木美帆選手が銀メダル、モーグルの原 大智選手が銅メダル、日本選手の活躍が報じられました。

マスメディアに踊らされているわけではありませんが、オリンピックも勝負の世界、やはりメダル獲得のニュースは嬉しいものです。


豊かな環境
以前テレビで、ヤマセミの生態を放映していました。 ナレーションの中で
「 ヤマセミが育つには豊かな川が必要です。 」 と、言っていました。

「 動物にとって、豊かな環境が必要なんだな。 」 と、その時改めて感じました。それは、すべての生物にとって言えることです。人間も例外ではありません。

テレビでは、ヤマセミの子育ての様子も紹介していました。

親鳥が餌の小魚を捕る様子を、子供のヤマセミがじっと見ています。親は小魚を咥えて飲み込む仕草まで、子供に見せます。そして、今度は小魚を口移しに子供に与えます。

親鳥は、子供のヤマセミが餌を上手に食べる様子を見守っています。両者の間は、真剣さと信頼関係で結ばれているように見えます。


人間の子供のしつけの話に変わります。

子供は信頼している大人が(両親・先生が)真剣に見守ってくれていると、何事にも一生懸命に取り組みます。失敗しても、何回でも繰り返してやり遂げます。

「 子供は、大人の後ろ姿を見て育つ。 」 ・ 「 子供は大人の言うようにはならないが、するようにはすぐなる。 」 と、言います。これこそ子育ての基本です。

しつけの方法については、いろいろな人がいろいろなことを言います。でも、これが正解というものはありません。しつけに効力のある万能薬もありません。

「 臨機応変 ! 」 その時々の場面や状況に応じて、知恵を絞って対応することが大切です。

ただ忘れてならないことは、子供たちが生活する場を、私たち大人が何時も豊かな環境とするように心がけることです。


モーグルで銅メダルの原選手は、東京・渋谷の大都会で生まれましたが、カナダに移住してモーグルの練習に励み、今回の栄冠を手にしたと聞きます。

孟母三遷 の教えもあります。子供たちの環境が、カワセミの親子が棲む豊かな川のようになることを願っています。


「ない」 ものではなく 「ある」 ものに

きょうの朝日新聞、 「折々のことば」 です。

「ない」ものではなく「ある」ものに注目する。  「できない」ことではなく  「できる」ことに注目する。

苦境を打開する何かを「外から引張ってくる」・・・・・。そんな発想では地域の活性化はできないと、「反貧困」の社会活動家は言う。


人の支援も教育も、きっと同じ。ヒーローを待っていても、世界は変わらない。 と、「折々のことば」の鷲田 清一氏は言われます。


現役時代、子供たちへ「よく遊び よく学べ」と言いました。でも現代っ子は、「何をして遊んだらよいか分からない」・「遊ぶ遊具が無い」と言って、遊ぶのを億劫
がりました。

ましてや学ぶとなると、「つまらない」・「分からない」・「やる気がしない」・・・ 
と、お手上げ状態でした。

確かに今の子供たちは、「遊び方を知らない」・「遊び方が下手だ」と言われます。遊びを工夫したり創造したりするのも、不得手です。

体さえ動かせば遊びになることが一杯あるのに、現代っ子は、走ったり・跳んだり・よじ登ったり・ぶら下がったりするのが苦手です。

すばしっこさ・敏捷性・判断力・平衡感覚などが劣る、とも言えます。 また危険を予測したり、それを避けたりする力も劣ります。

ですから遊ぶことが「ない」・「できない」と、逃げてしまうのです。
学ぶこともしかりです。

かけっこ・鬼ごっこ・かくれんぼ・木登り・腕相撲・相撲・・・  ちょっと体を動かせばできる遊びです。

遊び仲間がいれば、 ゲームを楽しむこともできます。 友だちをリードしたり、 リーダーの元で協力し合ったりすることも体験できます。

遊びの不足は、満足感・充実感を生み出す力も弱くなります。
学びの不足も同じです。

人間は疲れるまで遊んだり学んだりして休憩し、心身をリラックスさせるあの心地よさを経験することが、成長にとってとても大事なのです。

「ない」・「できない」と迷わずに、身の回りを見渡せば、手近なところに「「ある」・「できる」が転がっています。

「隗より始めよ」です。案ずるより生むが易しで、物事は事前にあれこれ思案して不安がるより、思い切って実際に行動すれば、案外かんたんに出来たりするものなのです。



相成らぬことは相成らぬこと

旧会津藩の藩学舎「日新館」には、こんな館則が掲げられています。

相成らぬことは 相成らぬこと

イギリスの有名校イートン中学校の校則も同じ思いです。

成さねばならぬことは成せ 成してならぬことは成すな


悪事や不正は、必ず世間に知れ渡ります。「天知る 地知る 我知る 人知る」です。

古今東西人類共通の教えです。


横浜の着物店「はれのひ」が突如店を閉め、多くの新成人たちが成人の日に晴れ着を着られなくなりました。相ならぬ事件です。

一生に一度の成人式なのに、新成人たちを裏切った「はれのひ」の社長は雲隠れしてしまったとか。盗人猛々しいと言うか、その罪は万死に値します。

カヌー選手への禁止薬物混入事件もありました。スポーツ精神を踏みにじるような行為で、多くの人々が驚き憤りを覚えました。

成しては成らぬ事件が相次ぎます。でも「天網恢々疎にして漏らさず」 天の網は万物に対して張り巡らされています。悪いことをすれば、必ず罰が与えられるのです。


日本では、子供のしつけを学校に求めます。道徳が教科として位置づけられてもいます。欧米では、しつけの主役は家庭です。

それも自分の家の子はもちろん、近所の子が遊びに来ていたずらしても厳しく説教します。親が学校の先生に「うちの子は悪さをしてしょうがないので、先生から叱ってやってください。」と、泣きつくようなことは欧米では見られません。


生活が屋内中心の農耕民族と、屋外中心の狩猟民族の違いと説く学者もいます。


いずれにしても「相成らぬことは 相成らぬこと」、幼い頃からしっかりと教え込んでおきましょう!



学校に注文だけでなく感謝も

古い書類を整理していたら、30年も前の新聞記事の切り抜きが出てきました。

学校に注文だけでなく感謝も ( 1986年7月28日付・読売夕刊要旨 )

学校の水泳指導でひとたび事故が起これば、それこそ大事件になる。教師は何をしていたかと、世論の袋叩きにあう。そのかわり学校の水泳が、ひと夏何事もなく終わっても、当たり前だとされる。「おかげで無事でした、ごくろうさま。」とねぎらいの言葉をかけてくれる親もいない。これでは、先生だって逃げ腰になったとしても不思議ではない。(お茶の水大学・外山滋比古教授の文より)


私はこの記事を参考に、PTAの集まりで親たちに同様の話をしました。


その年度の卒業式が近づいたある日、職員は卒業式や新年度の準備に追われていました。

すると6年担任の O 先生が、「 一息つきませんか? 」 と、お茶にチーズケーキを配ってくれました。

「 どうしたんですか? 」 と尋ねると、「 実はあるお母さんからチーズケーキを頂いたんです。 この手紙と一緒に・・・」 と言って、その手紙も見せてくれました。

手紙には、こんなことが書かれていました。

(前略) 早いもので、子供がお世話になってもう6年の歳月が過ぎました。お陰様で、素直で元気な明るい子供に育ちました。これも先生方の指導の賜物と、
心から喜び感謝申しあげております。

(中略)校長先生のお話を聞いたからという訳ではありませんが、私にできる細やかな感謝の気持ちとして、チーズケーキを作ってみました。ほんのひと口ずつですが、先生方に召し上がって頂ければ嬉しいのですが。  (後略)


少年・少女期を預かる小学校の日常は、多様で気の休まる時がありません。そんな中で 感謝する・感謝される言葉に、無上の幸せを感じました。