幼児教育を語るひろば

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好きこそものの上手なれ

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祝 眞子さま婚約
秋篠宮家長女眞子さまの婚約が報じられ、日本中が祝賀ムードに湧いています。最近は国の内外で、悪いニュースが多すぎます。久しぶりにそんな雰囲気を吹き払ってくれるような、明るいニュースです。眞子さまが、素敵な家庭を築かれるように、心からお祈りします。


好きこそものの上手なれ
現職中 6年生を担任していた時に、今でも忘れられない出来事がありました。

H 君からこんな質問をされました。
「先生は、勉強が好きだったの?」 と。学校の先生になったくらいだから、「先生は勉強が好きなんだ。」と、子供たちは勝手に決めていました。

「勉強は嫌いだったよ。」 期待はずれの私の答えに、子供たちは一瞬耳を疑うような素振りでした。

するとすかさず H 君は、「じゃァどうして先生になったの?」 と、問い返してきました。確かに勉強嫌いが、子供たちの先生になって、「勉強しなさい!」 と言うのは矛盾しています。

私は慌てて、言い訳まがしく付け足しました。「子供の時代は、みんな勉強が嫌いなんだよ。でも勉強の基礎は、子供のうちにやらないと、覚えられないのだよ。だから嫌いでもやらないと!」 「少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。という諺もあるくらいだから・・・ 」 と。

さらに「若い時は二度と無い、今遊んで過ごしたら将来きっと後悔するし、幸福な人生は望めない。」 と、偉そうに説教しました。

すると H 君は、「子供は可哀想だなァ。ぼくは遊んでいる時が、一番幸福なんだけど・・・ 」 と言いました。
私は今でもこの時の H 君とのやりとりが忘れられません。

もし子供時代 に、 「 勉強! 勉強! 」 とお尻を叩かれて遊ぶ機会が無く、不幸にして早逝するようなことがあったら、その子は一生幸福を知らないまま人生を終えることになってしまいます。

子供時代には、子供時代にしか得られない喜び・楽しみ・幸福感があるはずです。だから嫌いな勉強を無理強いするのは、考えものです。


この時以来私は、子供たちへこう答えるようにしました。

「 勉強は嫌い! と言う前に、勉強全体をよく見てご覧。勉強の中には、これは面白そうだ とか、これは好きになれそうだ というのが、必ずあるものだよ。」

「 教科でも 算数は嫌いだが、音楽は好きだ とか、 漢字は苦手だが 詩を読むのは楽しい ということがあるね。」

「 [ 理科は難しいけど 動物は可愛い ]・[ 教室での勉強は嫌だが 校庭で運動するのは得意 ]・[ 歴史上の英雄を調べたり お城を見て歩いたりするのは大好き ]・・・ など、 よく探すと、嫌いな勉強にも面白いことや好きなことが一杯あることに気づくよ。」

「 そうなれば 好きこそものの上手なれ! で、好きなことにはやる気も起きるし、熱心に取り組むことも出来るね。」

「 嫌いな勉強を、そうやって好きになろうよ。するといつの間にか勉強好きになるし、成績も上がるよ。 下手な横好き 、という諺もあるね。下手でも熱心にやっていると、上手になって行くものだよ。」



私は私の勉強観を、こう子供たちへ話すようになりました。 そして、嫌いな勉強を克服するように勧めました。



人の命

きょうは 「こどもの日」 ですが・・・  
子供たちは、守られているでしょうか?


また仙台でいじめを訴えていた中2男子生徒が、自殺しました(4月26日に)。 彼は昨年6月 校内で実施したいじめ調査のアンケートで、「悪口を言われた」
などと記入していました。

アンケートに答えるということは勇気のいることで、そこからいじめの深刻さが伺えます。学校側は、本人やいじめた生徒4名から事情を聴取して、それなりに指導し、解決したと判断していました。

でもいじめはそんなに簡単に解決するものでは無いことを、過去の事例が色々と教えてくれています。事実いじめはその後も続いて、男子生徒は遂に自殺にまで追い込まれてしまったのです。


このような事件が起きるたびに、いじめを重大事態として対応しない担任・学校・教育委員会の姿勢・不手際が問題になります。事件が起きてからでは、いじめの内容をいくら詳しく調べても後の祭りです。失われた尊い命は、もう戻ってはきません。


ちょうど今読んでいる本(国木田独歩の短編 「郊外」)に、こんな一節があるので紹介します。いじめ対策の参考になると思います。

主人公の時田先生

 時田先生、名は立派なれど村立小学校の教員である。それも四角な顔の、太い眉の、大きい口の、骨格の逞しい、背の低い、言うまでも無く若い女などには余り好かれない方の男。
 そのくせ生徒にも父兄にも村長にも極めて評判のよいのは、何処か言うに言われぬ優しい処が有るので、口数の少い代りには嘘を言うことの出来ない性分、それは眼でわかる。何時も笑みを含んでいるので。


友人の画家 江藤の時田先生評

 君がこうやって村立小学校の校長それも最初は唯の教員から初めて十何年という長い間、汲々乎として勤めお互いの朋輩にはもう大尉になった奴も居れば法学士で判事になった奴も居るのを知らん顔で羨ましいとも思わず平気で自分の職分を守ている。勿論これはキミの性分にも依るだろう。しかしそれはどちらでもいい。ともかく一心専念にやっているという事が僕は君の今日成功している所以だと信ずる。成功とも! 教育家としてこの上の成功はないサ。父兄からは十二分の信用と尊敬とを得て何か込み入ったことは皆な君の処へ相談に来て君の判断を仰ぐ。僕は今の教育家にこういう例は余り無かろうと思う。


欲は言いません。こういう先生 こういう先生の学校では、いじめは起きません。起きても適切に対応してくれます。そう強く思いました。


自殺者が多い踏切り近くの八百屋の主人の言葉

 「何をしても命あっての物種だ」と大きな声で独り言を初めた、「どうせ自分から死ぬるてェなァ、よくよくだろうが死んじまえば命が無えからなァ」
 この時クスリと一声、笑いを圧し殺すような気配がしたが、主人はそれには気が付かない。
「命さえ有れば又どんな事でも出来らァ。銭が無えなら稼ぐのよ、情人が不実なら別な情人を目っけるのよ。命が無くなりゃァ種なしだ」



命あっての世の中・人生です。大事に使いましょう !



子供たちは今

子供の定義は?
未成年者(20歳未満)を子供と呼ぶ場合もありますが、現在は18歳以上に選挙権が与えられているので、18歳未満を子供と見なしています。

実際に「児童福祉法」では、18歳未満を児童としています。然し「学校教育法」で児童というと、6〜12歳(小学生)を指します。

ところで「児童憲章」(昭和26年5月5日制定)には、こんなことが明記されています。

先ず前文には・・・

児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。


条文には、子供の幸福を願って次のようなことが書かれています。

二、すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭
    に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。

九、すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもら
    れる。

十、すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取り扱いからまもられる。
    あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。



日本の子供たちの問題は後回しにして、世界の子供たちの現状で気になる点を三つ、ユニセフの「 世界子供白書 2016 」から拾ってみました。

先ず極度の貧困にある子供たちの10分の9は、サハラ(アフリカ北部の大砂漠地帯)以南のアフリカで生活しています。

次に初等学校就学年齢に相当する子供のうち、6.000万人超が学校に通っていません。

更に7億5千万人の女性(未成年者)が、児童婚を強いられています。 (10億人の子供の4分の3に当たる人数)


いま直ぐに対応しなければ 、2030年度には1億6.700万人の子供が、極度の貧困生活を強いられることになります。

そして6.000万人の子供が、学校に通えません。加えて6.900万人の5歳未満児が、早死にすると言われます。


そこで日本の子供たちの様子を、内閣府の「子供 若者白書」や警視庁の「少年非行等の概況」から考察してみました。

最近気になるのは、インターネットに関わる問題や犯罪です。2チャンネル・twitter・SNS・YouTube などによる事故や事件(特に性犯罪被害)が多発しています。

相変わらず自立できない子供の問題が、多いようです。過保護・かまわれ過ぎも原因の一つですが、普通の家庭で能力も普通の子供にも見られるとのことです。ニート・引きこもり・不登校の数は、一向に減りません。

自立できないので、日常の生活能力も劣ります。社会活動への参画や、ボランティア活動に参加する意欲も無いのが現状です。そして、自己中心的な子供が多いのです。

家庭環境にも問題があります。子供たちの、快適な居場所になっていません。児童虐待や家庭内暴力も、後を絶ちません。

特に、思春期の子供たちの欲求不満が募りがちです。非行・暴力事件や、喫煙・飲酒も増えています。更に、薬物乱用事件も起きています。

女子中高生を中心に、非行や性の逸脱行動も目立ちます。肥満・痩身障害や、性感染症の罹患率も増加して、彼女たちの健康管理上の問題も心配されます。

いずれにしても、アフリカの子供たちと比べても意味ありません。日本の場合は、物の豊かさのための心の貧しさでしょうか?  

でも日本でも、子供の貧困問題が話題になっているのですが・・・



クラス会

        明日

 明日もまた遊ぼう !
 時間をまちがへずに来て遊ぼう !
 子供は夕方になってさう言って別れた
 わたしは遊び場所へ行って見たが
 いい草のかほりもしなければ
 楽しそうには見えないところだ
 むしろ寒い風が吹いてゐるくらゐだ
 それだのにかれらは明日もまた遊ぼう !
 此処へあつまるのだと誓って別れて行った

                           ( 室生 犀星 )



一昨日、今年62歳になる教え子たちのクラス会がありました。私の老化を気遣って、会場は私の家から15分ほどの商店街にある小料理屋さんでした。

小学校を卒業して半世紀が過ぎたのに、教え子たちは約束通りに集まってきます。集まるとすぐに、少年少女時代に戻ってしまうから不思議です。
「〇〇ちゃん」・「〇〇さん」、 中には当時のあだ名で呼び合ったりしています。

シラー ( 1759〜1805年  ドイツの詩人・劇作家 ) は、 「 友は喜びを 2 倍にし、悲しみを半分にする。 」 と言いました。 その通りです。

真の友情とは、いま教え子たちが繰り広げているこの光景のことを言うのだろうと、私はつくづく感じました。

私の宝である教え子たちと、掛け替えの無い大切なひと時を過ごすことができました。  感謝 !



原発いじめ

昨年11月、福島の原発事故のため横浜市に避難してきた当時中1男子生徒が、いじめに遭ったことを告白した文書が公にされました。

彼は友だちから「バイキン」と呼ばれたり、補償金があるだろうからと金銭を要求されたりしました。

この事件がマスコミに取り上げられたのを契機に、原発事故のため福島県から県内外に避難した児童・生徒が、いじめに遭ったかどうか?  文科省が調査しま
した。

その結果、今年3月までに 199件 のいじめがあったことが分かりました。 
(でもこの件数は、氷山の一角に過ぎないと思います。)

なぜなら私たち人間は、動物的起源に遡れば弱いものへの攻撃的衝動は本能的なものだからです。

弱肉強食、原始以来動物は二つの理由から闘って生きてきました。
一つは、順位制のもとで自分の優位を確立するためです。一つは、ある一定の地域に自分の縄張りを確立するためです。

それは生きるため、あるいは生活するための有効な手段でもあったのです。この闘争本能は、現在も私たちの心の中にしっかり根付いています。それが、今でも「いじめ」として顔を出すのです。

現に世界各国は(一部の民族集団も)、武装して対立する利益や価値を巡って紛争を起こしています。いじめと紛争を結びつけるのは飛躍し過ぎるという意見もありますが、根は同じです。

今問題になっているヨーロッパへの移民・難民の大量流入は、いじめの被害者です。第二次世界大戦以来の人道危機とまで言われています。


話が少し逸れましたが、いじめを無くすにはどうしたらよいのでしょうか?

人間は、長い時間をかけて闘争本能を転位行動に置き換えるようになりました。挨拶行動はその良い例です。そこから、モラルや社会性が生まれました。

闘争本能を他の行動に変える工夫は、他にも色々あります。スポーツ・演劇や映画の鑑賞・料理(飲食)・演奏活動・絵画や彫刻などの製作活動・・・  など。

また儀式化することで、闘争本能を抑制・制御しました。祭礼などの宗教行事が良い例です。

ではそれらを、どう実践すればよいのでしょうか?

第 1 は、教育力によって攻撃性をコントロールすることです。いじめを無くす指導の場は、学校(園)が第 1 なのです。そこで転位行動を身につけてあげま
しょう。

第 2 は、地域社会で相互扶助的な組織を形成して、社会性を育むことです。
服従行動を学ぶことで、協力の心や感謝の心を培うことが出来ます。

いじめを無くす工夫は、転位行動の創造でもあるのです。