幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

フード デザート

ユニセフ・ニュース264号の特集記事にこんな見出し(タイトル参照)がありました。「フード デザート」を直訳すると、「食の砂漠」という意味になるようです。デザートに砂漠という意味があるとは、知りませんでした。

世界各地の都市部で起きている食料・栄養問題を表す言葉だそうです。


日本を含めた富裕国では、消費されなかった食品が日々大量に廃棄されるという現実があります。いわゆるフードロス問題です。

「食の砂漠」と「食品ロス」は相反するように思われがちですが、実は違うというのです。


都市には、洋の東西を問わず人や物やサービス業が集まります。食べ物も例外ではありません。都市総体としては必要以上の食料が確保されたように見えます。しかし、そこに住む一人ひとりが必要とする量と質が確保されたわけでは無いと言うのです。


ユニセフ「世界子供白書2019」は、子どもの成長、つまりその子の将来の可能性を阻害する栄養問題に直面する子の数が、先進国も含めた世界の子どもの3人に1人にも上ると指摘、その背景の一つに都市化があると言います。

農村では安価だった食材が、都市では高価なので貧困層は買えません。それでもかっては富裕国の話だった子どもの肥満問題が、都市の貧困地域でも深刻な問題になっています。


世界人口は、今後十数年のうちに現在の77億人から約85億人に増えるそうです。さらに2050年までに、ほぼ100億人に達すると言われます。

この人口増に加え、農村から都市への人口移動のために、世界の都市人口は
2050年までに25億人も増加すると考えられます。


今や都市化は、避けられない現実です。一見華やかにも映る都市化ですが、経済発展という光と同時に、貧富の格差という影を映し始めているのです。




ランドセルが重くなる

文科省は、学習指導要領が10年ぶりに見直されることを受け、2020年度から使われる教科書の検定結果を公表しました。

小学校では5・6年生で英語が初めて教科として新設され、その教科書も検定対象になりました。

他の教科書の多くも全面的に改訂され、現行の教科書と比べて、平均ページ数が約10%増え、英語も含めると約14、2%の増になると言います。


私の現役時代は「ゆとり教育時代」と言われ、後に日本の教育を鈍化させ後退させたと、批判されるようになりました。

「ゆとり教育」は、本当に悪だったのでしょうか?


新しい指導要領は、「主体的・対話的で深い学び」を目指しています。そして、知識を得るかどうかだけでなく、学ぶプロセスも重視しています。

主体的な学び・深い学び・学ぶプロセスの重視、これこそが「ゆとり教育」の本質だったのではないでしょうか?


学習指導要領が目指す事柄と教科書のページ数の増加、それに伴う授業時間数増、文科省の言うことと行なおうとしていることは、少しずれていないでしょうか?


気の毒に子供たちのランドセルは、厚くなった重い教科書や、新しく増えた英語の教科書で、いっそう重くなるのでは? と心配です。


今回の指導要領改訂も教科書検定も、裏に「ゆとり教育」批判が見え見えです。だから学力低下の批判を避けようと、学習内容の質や量を、グンと増やしたのではないかと勘ぐっています。

老婆心ながら、子供たちが学ぶ意欲を失うことが無いように願っています。



言葉のいわれ

*糸目
「金に糸目をつけない」などと言いますが、糸目とは何を指しているのでしょうか?

「糸目」とは、凧(タコ)が平衡を保って揚がるように、凧を引き締めている糸のことです。これが無いと、凧はどこへ飛んで行ってしまうか分かりません。つまりそのくらいの気持ちで、金銭を惜しげも無く使うと言う意味になったのです。

*一縷(いちる)
 ごくわずかなことを言います。縷(る)は細い糸のことです。「いちるの望み」と言えば、わずかな望みのことです。「縷縷お話があります」と言えば、事細かに説明することです。

*折り紙つき
 間違いないと保証できることです。

 書画骨董品が本物かどうかは、そのものの作者名・時代・内容等が、折り紙に(折り帳面)書かれ、その品物が偽りのないことを証明します。これを折り紙つきと言います。それに鑑定印が押されています。

*へそくり
 漢字で書くと「綜麻繰」です。これは、繭から糸を取るための道具です。昔の主婦は、アルバイトで綜麻を繰って得た金銭を、内緒で蓄えました。それが「へそくり」です。

*茶番
 昔は、芝居小屋で客のために茶の用意や給仕をする役目の人がいました。その人を茶番と言います。茶番は、時々サービスで幕間に即興芝居を演じました。でも本当の役者と違って素人芸のため上手ではありません。転じて芸の浅い未熟な芝居を茶番というようになりました。

 馬鹿らしい底の見え透いた振る舞いに対して、茶番あるいは茶番劇と言うようになりました。

*尻馬に乗る
 人の後にただくっついて、無批判に物事を行うことを言います。源平の合戦で義経に敗れた平家の武士が逃げる時、無理やりに仲間の馬の尻に乗って逃げたことが、転じて伝えられたと言います。

*とちる
 舞台で台詞や仕草をやりそこなってしくじった時や、アナウンサーが言葉を間違えた時、栃の実ほどの目をして悔やんだことから生まれた言葉だと言われます。

*女房
 語源は、昔院中(宮中)で、一人住みの房(部屋)を与えられた高位の女官のことを言います。房は個室のことです。今時の女房たち(奥さんたち)は、個室を持っているでしょうか?


言葉のいわれを調べてみると、キリがありません。でも勉強になります。
またいつか、挑戦することにします。



道元禅師の教え

ふた昔も前になりますが、福井県にある曹洞宗の大本山 永平寺に詣でたことがありました。

永平寺の石門には、『 杓底一残水 汲流千億人 』という文字が刻まれていたのを覚えています。


道元禅師は、毎朝仏様にお供えする水を、門前の小さな谷川から柄杓で汲み取られていました。その折に、必ず柄杓の水を半分だけ谷川に戻されました。

何もそんなことをしなくても、山から流れ出る谷川の水の量は豊富です。涸れる心配などありません。

しかし道元禅師は、どんなに水が沢山あっても、一滴の水も粗末にしてはならないと言われました。だから余分な水を、谷川に戻されたのです。

これこそ、道元禅師が説かれた「禅」の心なのです。

戻された柄杓の半分の水は、やがて下流の多くの人々が使用する大事な水にもなっています。


このことは、「今自分がここに生きていて何か得たものがあるならば、どんな小さなことでもよいから、それを他の人のために伝えて行きなさい。」という禅の教えに通じます。

さらに道元禅師は、「同じ谷川の水を飲んで、共に生きているというだけではなく、同じ喜びを分かち与えるつながりともなるように!」と言われました。


道元禅師が説かれた『正法眼蔵』には、「行持報恩」という言葉があります。

私たちは、この自然界において、万物の恩を受けたり返したりしながら生きています。

足元の一草一木も、人間と関わりがあり、そこから学ぶことは少なくありません。


恩返しとは、感謝することです。その気持ちを大事にして、日々を暮らして行くのが「行持報恩」なのです。

仲良くする・助け合うことの、根本にあるものです。国際化・国際協力・国際平和も、皆同じです。



財を受け継ぐ

私たち大人は、多様な財物を作って後代に伝えて行きます。お正月の色々な行事やしきたりも、その大切な無形の財物の一つです。

初詣で・年始回り・書き初め・初夢・掃き初め・仕事始め・七草がゆ
・どんど焼き・鏡開き・寒げいこ・・・ など。

それは文化であり、先人の知恵でもあるのです。

しかしその財も形だけ残り、心を失ったら崩れて消えて行きます。失わないためには、その一つ一つについて、先人が(祖先が)財を作った心を思い起こして現在に活かし、さらに伝承して行かねばなりません。

お正月の楽しい遊びや行事しきたりにも、その大切な心が残されています。

凧揚げ・羽根つき・こま回し・すごろく・カルタ取り・福笑い・・・


昔話もその中の一つです。

「笠地蔵」は、心の優しいおじいさんとおばあさんの話です。

おじいさんは、雪の降る日に傘を売りに行きました。でも一つも売れません。しょんぼり帰ると、村の入り口で石のお地蔵さんが、頭に雪を乗せて寒そうに立っていました。・・・

お正月にふさわしい、子供たちも大好きな話です。


正しい心・美しい心・優しい心・・・ 心を育てるということは、難しいことではありません。子供と共感し合える関係を、築けば良いのです。

共感し合える関係作りは、色々あります。

人と触れ合う(挨拶する・会話する)・自然と触れ合う(野外に出て景色を見る、動植物を観察したり採集したりする)・何かを、友だちと一緒にやり遂げる(共同作業)・音楽に親しむ(合奏や合唱をする)・・・ など。


私たち大人は、子供たちの心に残る財を作り伝える義務があります。


大人が吟味して話す言葉は、子供の心に刻まれます。家族団欒のお正月は、親子で話がはずむ環境を作る好機です。

親子の会話が少ないと、心配されるこの頃です。子供たちとの会話を楽しみながら、彼らのために財を残しましょう。