幼児教育を語るひろば

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子供たちは今

子供の定義は?
未成年者(20歳未満)を子供と呼ぶ場合もありますが、現在は18歳以上に選挙権が与えられているので、18歳未満を子供と見なしています。

実際に「児童福祉法」では、18歳未満を児童としています。然し「学校教育法」で児童というと、6〜12歳(小学生)を指します。

ところで「児童憲章」(昭和26年5月5日制定)には、こんなことが明記されています。

先ず前文には・・・

児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。


条文には、子供の幸福を願って次のようなことが書かれています。

二、すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭
    に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。

九、すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもら
    れる。

十、すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取り扱いからまもられる。
    あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。



日本の子供たちの問題は後回しにして、世界の子供たちの現状で気になる点を三つ、ユニセフの「 世界子供白書 2016 」から拾ってみました。

先ず極度の貧困にある子供たちの10分の9は、サハラ(アフリカ北部の大砂漠地帯)以南のアフリカで生活しています。

次に初等学校就学年齢に相当する子供のうち、6.000万人超が学校に通っていません。

更に7億5千万人の女性(未成年者)が、児童婚を強いられています。 (10億人の子供の4分の3に当たる人数)


いま直ぐに対応しなければ 、2030年度には1億6.700万人の子供が、極度の貧困生活を強いられることになります。

そして6.000万人の子供が、学校に通えません。加えて6.900万人の5歳未満児が、早死にすると言われます。


そこで日本の子供たちの様子を、内閣府の「子供 若者白書」や警視庁の「少年非行等の概況」から考察してみました。

最近気になるのは、インターネットに関わる問題や犯罪です。2チャンネル・twitter・SNS・YouTube などによる事故や事件(特に性犯罪被害)が多発しています。

相変わらず自立できない子供の問題が、多いようです。過保護・かまわれ過ぎも原因の一つですが、普通の家庭で能力も普通の子供にも見られるとのことです。ニート・引きこもり・不登校の数は、一向に減りません。

自立できないので、日常の生活能力も劣ります。社会活動への参画や、ボランティア活動に参加する意欲も無いのが現状です。そして、自己中心的な子供が多いのです。

家庭環境にも問題があります。子供たちの、快適な居場所になっていません。児童虐待や家庭内暴力も、後を絶ちません。

特に、思春期の子供たちの欲求不満が募りがちです。非行・暴力事件や、喫煙・飲酒も増えています。更に、薬物乱用事件も起きています。

女子中高生を中心に、非行や性の逸脱行動も目立ちます。肥満・痩身障害や、性感染症の罹患率も増加して、彼女たちの健康管理上の問題も心配されます。

いずれにしても、アフリカの子供たちと比べても意味ありません。日本の場合は、物の豊かさのための心の貧しさでしょうか?  

でも日本でも、子供の貧困問題が話題になっているのですが・・・



クラス会

        明日

 明日もまた遊ぼう !
 時間をまちがへずに来て遊ぼう !
 子供は夕方になってさう言って別れた
 わたしは遊び場所へ行って見たが
 いい草のかほりもしなければ
 楽しそうには見えないところだ
 むしろ寒い風が吹いてゐるくらゐだ
 それだのにかれらは明日もまた遊ぼう !
 此処へあつまるのだと誓って別れて行った

                           ( 室生 犀星 )



一昨日、今年62歳になる教え子たちのクラス会がありました。私の老化を気遣って、会場は私の家から15分ほどの商店街にある小料理屋さんでした。

小学校を卒業して半世紀が過ぎたのに、教え子たちは約束通りに集まってきます。集まるとすぐに、少年少女時代に戻ってしまうから不思議です。
「〇〇ちゃん」・「〇〇さん」、 中には当時のあだ名で呼び合ったりしています。

シラー ( 1759〜1805年  ドイツの詩人・劇作家 ) は、 「 友は喜びを 2 倍にし、悲しみを半分にする。 」 と言いました。 その通りです。

真の友情とは、いま教え子たちが繰り広げているこの光景のことを言うのだろうと、私はつくづく感じました。

私の宝である教え子たちと、掛け替えの無い大切なひと時を過ごすことができました。  感謝 !



原発いじめ

昨年11月、福島の原発事故のため横浜市に避難してきた当時中1男子生徒が、いじめに遭ったことを告白した文書が公にされました。

彼は友だちから「バイキン」と呼ばれたり、補償金があるだろうからと金銭を要求されたりしました。

この事件がマスコミに取り上げられたのを契機に、原発事故のため福島県から県内外に避難した児童・生徒が、いじめに遭ったかどうか?  文科省が調査しま
した。

その結果、今年3月までに 199件 のいじめがあったことが分かりました。 
(でもこの件数は、氷山の一角に過ぎないと思います。)

なぜなら私たち人間は、動物的起源に遡れば弱いものへの攻撃的衝動は本能的なものだからです。

弱肉強食、原始以来動物は二つの理由から闘って生きてきました。
一つは、順位制のもとで自分の優位を確立するためです。一つは、ある一定の地域に自分の縄張りを確立するためです。

それは生きるため、あるいは生活するための有効な手段でもあったのです。この闘争本能は、現在も私たちの心の中にしっかり根付いています。それが、今でも「いじめ」として顔を出すのです。

現に世界各国は(一部の民族集団も)、武装して対立する利益や価値を巡って紛争を起こしています。いじめと紛争を結びつけるのは飛躍し過ぎるという意見もありますが、根は同じです。

今問題になっているヨーロッパへの移民・難民の大量流入は、いじめの被害者です。第二次世界大戦以来の人道危機とまで言われています。


話が少し逸れましたが、いじめを無くすにはどうしたらよいのでしょうか?

人間は、長い時間をかけて闘争本能を転位行動に置き換えるようになりました。挨拶行動はその良い例です。そこから、モラルや社会性が生まれました。

闘争本能を他の行動に変える工夫は、他にも色々あります。スポーツ・演劇や映画の鑑賞・料理(飲食)・演奏活動・絵画や彫刻などの製作活動・・・  など。

また儀式化することで、闘争本能を抑制・制御しました。祭礼などの宗教行事が良い例です。

ではそれらを、どう実践すればよいのでしょうか?

第 1 は、教育力によって攻撃性をコントロールすることです。いじめを無くす指導の場は、学校(園)が第 1 なのです。そこで転位行動を身につけてあげま
しょう。

第 2 は、地域社会で相互扶助的な組織を形成して、社会性を育むことです。
服従行動を学ぶことで、協力の心や感謝の心を培うことが出来ます。

いじめを無くす工夫は、転位行動の創造でもあるのです。



一期一会 (今を大事に)

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椿(十数年前に大島で苗木を買い求めたもの 2017, 3. 29 写す)


茶道・華道・香道・書道・歌道・柔道・剣道・・・ と、日本文化は「道」の文化です。
中でも茶道は、千利休(1522〜1591年)によって確立された日本文化の代表格です。

利休の有名な教えに、「茶の湯の本義は、家は漏らぬほど、食事は飢えぬほど
にて足ることなり。」という簡素を追求した言葉があります。

小さな茶室で作法を大事にした利休が、大茶会で華々しい宴席を好んだ秀吉と対立したのも頷けます。さび・わびの枯淡な日本的な美的情趣を大切にしたのが、利休の茶道なのです。

一期一会の「一期」は、人の一生と考えたらよいでしょう。一生の中できょうの「一会」は、とても大事な出会いだということです。

私たちが知人・友人と巡り会えたのは、まさに一期一会です。それは、生きているという喜びに通じます。そして今私たちは、人生を真剣勝負の場として生きているのです。

言い換えると、一期一会は今を自覚することです。今が、真剣勝負の場なのです。今を私たちが連続して行けば、人生は生涯を通じて一期一会です。

利休は「いつもこの一杯の茶は、生涯の最後の一杯という心構えで頂きなさい。」と、言いました。私はこの言葉を「出会いを大事にしなさい。」という意味で、受け止めています。

4月は、多くの出会いがあります。新しい出会いを恐れずに前向きで取り組めば、たとえ期待はずれの結果になっても、後悔は残らないと思います。

進学・就職・転勤・転居・・・ それぞれに新しい出会いが待っています。その出会いが、 人であっても事象(新しい環境など)であっても、 一期一会の心で接すれば心配はありません。

今こそ、「今」という時を大事にして頑張りましょう!



忖度 (森友学園問題)

森友学園の問題で、「忖度」という言葉が話題になっています。森友学園の小学校設置認可をめぐり、財務省が学園側に有利となるような忖度をしたかということです。

国会で安倍首相は「そのような忖度は、絶対にしていないことは明らかだ!」と、繰り返し答弁しています。

大阪府の松井知事は、日本維新の会の総会で 「安倍首相は、忖度があったと
はっきり言うべきだ。」  と、述べています。 そして、 「 忖度には、 良い忖度と
やってはいけない忖度がある。」と言います。


「忖度」 とは、他人の気持ちを推し測ることです。「忖」 は人の心を表し、「度」 はそれを測ることです。人の心を推し測るということは、言うは易く行なうは難しです。

勝手に人の心を忖度するのは、かえってその人のためにならない結果を招くことになりかねません。やってはいけない忖度です。

悪智慧に長けている人は、都合よく忖度してもらうように奸智を働かせることさえあります。森友学園の籠池理事長が、そうだったのかどうかは分かりません。でも今回の問題には、やってはいけない忖度が働いたような気がするのは
拭えません。

100万円の寄付問題をはじめ今回の事件では、誰かがウソをついているのでしょう。うまくその場はごまかせても、後からバレてくるのがウソです。

「 1つのウソを通すためには、20ものウソを工夫しなければならない。 」 と、 スウィフト は言います。

一方で忖度を防ぐために、智慧のある人・優れた才能を持っている人は、むやみにそれを人に見せびらかしたりしないと言います。つまり、能ある鷹は爪を隠すのです。

「最悪の敵は、誉めそやす者なり」と、言います。今回の事件の背景には、森友学園の天皇中心の国家主義を基本とした教育理念に、賛同した安倍首相夫妻や多くの政治家の関与があります。

褒められたこと 賛同されたことで、籠池理事長も舞い上がったことは確かなようです。しかしそれが高じて真実が分からなくなり、気づいた時には四面楚歌、支援者たちがサッさと身を引いてしまったのです。

卑怯者は、自己の過失の言い訳をします。潔い人は、必ずそれを人に告白します。子供たちもこの森友学園問題に関心を持っています。1日も早く解決されるように願っています。