幼児教育を語るひろば

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三伏

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 ひまわり ( 向日葵・近所の病院で 2018, 7. 14 写す )
       ひまわりは、やはり夏を代表する花です。


このところ西日本・東日本は異常な暑さで、熱中症が心配されます。

今回の豪雨災害被災地では、被災者はもとより、支援のボランティアたちも、厳しい暑さの中で復旧活動を強いられています。

午後には各地で気温が上昇し、多くの地域で37℃を超えました。

(午後3時50分の NHK ニュースによる)

 *38℃を超えた地域
  ・京都市  ・岐阜県揖斐川町 

 *37℃を超えた地域
  ・大分県日田市  ・埼玉県熊谷市  ・広島県三次市
  ・富山県富山市、高岡市  ・山形市
            (夕方になればもっと増えていると思われる) 
 
 

過去に37℃を超えた最高気温の記録が残っていますが、現在は日常的にこのような高温の日が続いています。

 昭和 8年 7月25日  山 形→40.8
   17年 8月 1日  鹿児島→37.0
   17年 8月 2日  名古屋→39.9
   17年 8月15日  長 野→38.6
   24年 8月 3日  大 阪→38.2
   28年 8月21日  東 京→38.4


昔から酷暑の期間を表す言葉として三伏が使われます。夏至から数えて3番目の庚(かのえ)の日が初伏、 4番目の日が中伏、立秋以降1番目の庚の日が
末伏です。


庚( 十干の7番目 )は、金( 木・火・土・金・水の五行と言われ、万物を構成する元素 )の兄です。金は火性の盛んな夏の間は火を恐れて伏し隠れているので、夏の庚の日は凶日とされました。

転じて、酷暑である夏の3回の庚の日を三伏と言うようになりました。今年の初伏は7月17日、中伏は7月27日、末伏は8月16日です。


いくら暦の上では三伏だからと言っても、この暑さは平常ではありません。
世界規模で地球の温暖化が進んでいるのです。個人としてはもちろん、国家的にも早急に対策を講じる必要があります。
 

豪雨災害被災地の人々のためにも、三伏の夏が早く過ぎ去るように心から念じています。

   池冷やかにして
   水に三伏の夏なく
   松高うして
   風に一声の秋あり
            ( 和漢朗詠集 源英明 )




西日本豪雨災害

西日本を中心とする豪雨災害が発生してから1週間が経ちました。今朝の朝日新聞によると、死者の数が200人に達したと報じられています。行方不明の人は、広島・岡山両県だけでもまだ67人もいるそうです。犠牲者の数はこれからも増えるのではないでしょうか。心配です。


「板子一枚下は地獄」と言います。和船の底に敷く板子の下は、地獄のような深い海です。つまり私たちの生活は、常に危険と隣り合わせだと、昔から言われてきました。


娘の家は、広島市南区にあります。土砂災害と縁遠いと言われる地域ですが、ここにも「避難勧告」が発令されたとのことです。

広島県は、地質学的にも累卵の危うさがあると言われる土砂地帯です。それに加えて、中国地方では人口の多い県です。


「禍福はあざなえる縄の如し」と言われるように、人間の禍福はより合わせた1本の縄のように表裏をなしていて、予測できません。いつ自分が自然災害に見舞われるかは、計り知れないのです。
被災者のことを思うと、心が痛みます。


今回の災害で20人以上の死者・行方不明者が出た呉市は、広島へ行く度に訪れる好きな街です。あの美しい街が土砂に呑まれて一変した様子が、テレビの映像で伝えられていますが信じられません。


被災各地は、鉄道も道路も寸断され、生活物資も届かないようです。電気も飲み水も止まり、加えて連日の猛暑、正に生命の危機的状況下で、被災者たちは喘いでいます。

報道によれば、美しかった街も市民生活も、元に戻るには相当の日数を要するだろうと言われます。被災者たちが、一日も早く元の生活に戻れるように願うと共に、応援したいと思います。


最近の異常気象は、従来の常識で判断することが出来なくなりました。どうしたら災害から身を守ることが出来るか?
住んでいるところがどんな場所か?  再確認して、家族や近所の人たちと対策を話し合っておくことが、とても大事だとつくづく思いました。


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 サボテンの花 ( 2018, 7. 13 写す )

 サボテンの花が咲きました。
 サボテンは、砂漠のような過酷な土地でも育ちます。
 花言葉は、「温かい心」・「温情」などです。
 きっと、被災者たちを励ますために花をつけたのでしょう。





四万六千日

西日本豪雨
西日本各地を襲った豪雨による被害の状況が、テレビや新聞で伝えられています。死者126人、行方不明や連絡が取れない人は79人もいるとのことです(10日付 朝日新聞朝刊による)。平成で最悪の災害と報じています。

「これまで経験したことがない」ことが、日常的に起きるようになって来たのが気になります。やはり地球がおかしくなって来たのではないでしょうか?

自衛隊や警察・消防による救助活動が続いているようですが、一刻も早く被災者たちが普通の生活に戻れるように祈るばかりです。





わが家のほおずき ( 2018, 7. 9 写す )


きょうは浅草寺の四万六千日です。昔 文京区の小学校に勤めていた頃は、学校の帰りに必ず浅草寺のほおずき市に寄って、ほおずきを求めて帰りました。

それにこの日に浅草寺にお詣りすると、46.000日分の功徳があると言われました。46.000日というと、126年分に相当します。一生分以上の功徳が得られるというわけです。

別説では米1升が46.000粒あり、1升を一生にかけたと言われます。とにかく欲張っているというか、横着というか、人間は勝手なものです。

そんなわけで江戸時代の浅草寺は、四万六千日のほおずき市の日が一番賑わったそうです。

ほおずきは、薬用としても人気がありました。大人は癪が治まり、子どもは疳の虫下しに効果があると言われました。


浅草寺では、四万六千日の日に、赤トウモロコシを売る屋台も出ました。赤トウモロコシは雷除けに効くと信じられていました。

明治以降赤トウモロコシの需要が落ちて、生産されなくなりました。そこで浅草寺では、代わりに竹串に挟んだ三角形のお守り札を、雷除けに参詣者へ授与するようになりました。

それに普段のお守り札も、今日と昨日は「黄札」と言われる黄色の祈祷札に変わりました。


わが家のほおずきが赤くなると、浅草寺のほおずき市へ出かけた頃のことを思い出します。


七夕あれこれ

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 園児が作ったミニ七夕飾り


今日は七夕です。 幼稚園や保育園では、子どもたちが作ったミニ七夕飾りが
賑やかに飾られていることでしょう。

子どもたちは短冊に願いごとを書いて、七夕のお星様( 牽牛星と織女星 )に
叶えてくれるようにと祈りました。

竹の枝に願いごとを書いた短冊を吊り下げる風習は、江戸時代になって町人の間に広まったようです。


私が子どもの頃は、朝 植物の葉に溜まった露を集めて墨をすり、短冊や色紙に有名な和歌や俳句を書くと、書道が上達すると言われました。

七夕のお星様とは、天の川を隔てて相対している牽牛星(わし座の1等星アルタイル)と、織女星(こと座の1等星ベガ)のことです。七夕の日に、牽牛星と織女星が、1年に1回だけ会えるという中国の古い伝説が日本に伝わってきました。

日本にも棚機女(たなばため)の信仰があったので、中国の伝説と合体して、現代のような七夕の行事になりました。


だいぶ前に、仙台の七夕を見学しました。仙台の七夕は、1ヶ月遅れの8月6〜8日に行われます。豪華なくす玉や五色の吹き流し、賑やかな短冊飾り
など、団体や商店が意匠を凝らして飾りつけます。

幼稚園の七夕飾りと比べれば、見物客の度胆を抜くものばかりです。東京の近郊では、福生や平塚の七夕が有名です。

何れにしても、商魂の目立つ集客目的の観光行事になっていますが・・・


ところで、棚機女信仰が七夕行事の基盤に根強く残っている地域が、今でもあります。棚機女は、水辺の機屋で神を迎えるという行事なので、その翌日には、神を送るために人々は禊(みそぎ)をしました。

この名残として、七夕が終わったら七夕飾りを川に流したり、子どもに水浴びをさせたり、女性が髪を洗う儀式が行われたりしています。厄払いの行事でもあったのです。


七夕祭りが水と密接な関係を持っているとは言え、2〜3日前から日本中が大雨の被害を被っています。洪水・土砂崩れによる災害情報が、各地から寄せられます。心配です。

災害がこれ以上大きくならないように、広がらないように、心から祈ります。




スクール・フォー・アフリカ

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 木芙蓉 ( 2018, 7. 2 写す 例年より開花が早いのでは? )


ユニセフ・ニュース 258号が送られてきましたが、中に表題の募金案内が同封されていました。

そこには「 小学校に通うことができない子どもが、世界に約6100万人 」という、ショッキングな見出しがありました。

多くはアフリカの子供たちですが、特にサハラ以南のアフリカの地域に暮らす子どもたちの、約21%(=5人に1人)が、学齢期を迎えても小学校へ通えていません。


「 スクール・フォー・アフリカ 」は、その子たちが学校に通い、卒業できるように支援していくための募金プログラムです。

ユニセフのホームページを見ると、募金は西アフリカ・ブルキナファンの子どもたちのために役立てられているようです。

ブルキナファンはサハラ砂漠南に位置し、現地語で「高潔な人々の国」という意味があるようです。それなのに、世界で最も貧しい国の一つで、生産人口の80%が農業に従事しています。ただ気候変動を受けやすい地域なので、農業も振るいません。

ブルキナファンの子どもの多くは、牧畜や行商の下働き、他家の使用人などになって暮らしています。

この子たちに学びの場を保証したり、学び直しの機会を与える活動は大変だと思います。でも日本からの支援が、たくさん届くことを期待しています。


ユニセフ・ニュース 258号に、ヘンリエッタ・フォア ユニセフ事務局長の言葉が載っていました。

「 若者たちが、一生でとても重要なその時期に、仕事はもちろん、生きるために必要な力を身に付けることができれば、彼らはアフリカの成長を大いに助けてくれるはずです。 」


日本では、不登校の子どものことが話題になります。アフリカの学校に行けない子どもとは、根本的に違う背景があります。

いずれにしても学校に通うことができない子どもの問題は、早急に解決しなければならない大きな国家的課題です。