幼児教育を語るひろば

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最近の世相から

国会では愛媛県から提出された文書の内容を、安倍首相が否定しています。今まで残っていないと報告していた文書や情報が、財務省や防衛省から続々と出てきています。

自民党二階幹事長は、「総裁の言われることだから正しい。」と言います。


国外のニュースでは、6月12日にシンガポールで予定されていた米朝首脳会談が、突然中止になりました。トランプ大統領の気まぐれと言えばそれまでですが、せっかく朝鮮半島に平和が訪れてくれると期待していたのに残念です。

さらにトランプ大統領は、輸入する自動車に25%の関税を課すことを検討するように指示したと、報じられています。自動車は日本の輸出産業の花形です。日本経済界は、 自由貿易体制を揺るがしかねないと心配していますが、
どうなることでしょうか。


アメリカンフットボールの日大と関西学院大の定期戦で、悪質なタックル問題が世間を騒がせています。 「勝負に勝つためには手段を選ばない」と言う、
日大の監督やコーチの姿勢が問われています。


東京狛江市の市長が、女性職員へのセクハラ疑惑で追求されていました。被害者4人の抗議文でセクハラを認めた市長が、ようやく辞意を表明しました。

つい先日も財務省の事務次官が、同罪で辞任したばかりです。英雄色を好むと言いますが、権力をかさに弱者を襲う話は昔からあったようです。


地位を守る(高める)・権力を持つ(誇る)、利益(富)を得る・勝負に勝つ・名声を博する・・・  そのために人は、欲に目がくらみ・信義を裏切り・自己保身にのみ陥入り・他者を騙し・傷つけ、 悪事を働くようになるのです。


「上に交わりてはへつらわず、下に交わりては驕らず」 古今東西、政治家や官僚の基本姿勢です。人の上に立つ者の、共通信条です。

「仰いで天に恥じず」 天地神明はもとより、強者は弱者に対しても、少しも恥じることの無い人格者であって欲しいものです。


徒然草(兼好法師著)第38段に、こんな言葉があります。

名利に使はれて、しづかなるいとまなく、一生を苦しむこそ愚かなれ。
財多ければ身を守るにまどし。害を買いわずらいを招く仲立ちなり。

身の後ろにはこがね(金)をして北斗を支ふとも、人のためにぞわずらうべき。愚かな人の目をよろこばしめる楽しみ、また味きなし。

大きな車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人はうたて愚かなりと見るべき。こがねは山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利に惑うは、すぐれて愚かなる人なり。

(以下略)




天網恢々疎にして漏らさず

新潟で小2の少女を殺害した男が逮捕されました。
天網恢々疎にして漏らさずです。
犯人は捕まったものの、少女の命が帰って来る訳ではありません。

3500年も前に、モーゼは十戒の中で  殺すなかれ!  と、
教えています。

私たち人間にとって、最も大切なものが命です。
命があるから、人間として生きている意義があるのです。
命があるから、心も豊かになり、人格も高められるのです。

だからこそ、命を粗末にすることは許されません。
ましてや他人の命を奪ったりしたら、人間失格です

命を大切にする心は、他人を敬う心でもあるのです。
命を大切にすることは、人類が築き上げた文化の中で最高のものです。

なぜ23歳にもなった犯人の男には、命を大切にする心が育たなかった
のでしょうか?


次は、親鸞聖人が説かれた祈りの言葉です。

帰命無量寿如来 南無不可思議光

私はこう解釈しています。

苦しみ・悩み・不安に満ちたこの世の中を生き抜くためには、仏(阿弥陀仏)を信じれば、間違いの無い人生を歩むことが出来る。


犯人は、生育過程において宗教心が培われていなかったのだと思います。

モーゼや親鸞聖人の教えからも、人間の考え方や生き方が分かってきます。

自分さえ良ければ他の命を軽視しても良い、という風潮が強い世の中です。
私たちは、もう一度モーゼや親鸞聖人が残されたかけがいの無い「遺言」を、
噛みしめる時だと思います。


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目に青葉

昨日までの寒さがウソのように、今日は五月晴れのさわやかな日差しです。

 目に青葉 山ほととぎす 初がつお

緑鮮やかな五月の青葉、美しい鳴き声のホトトギス、旬の美味 初ガツオ、どれも江戸の俳人でなくても飛びつきます。

私は若い頃 文京区の小学校に勤めていました。当時文京区には「初音」という町がありました。お隣の台東区にも同名の町がありました。

「初音」とは、鳥の初鳴きのことです。文京区の初音はホトトギスで、台東区の初音はウグイスであると聞きました。

もう東京では、ホトトギスの声もウグイスの声も聞かれません。淋しいことです。鳥の声が聞かれないことは、子供たちの心の発達にも、何か影響しているのではないでしょうか?

カツオは、今でも江戸時代でも旬の魚の代表です。江戸時代は、カツオ1匹が1〜2両という高価だったようです。1両は、今なら1〜2万円に相当します。町人も武士も、先を争って初ガツオを買い求めたと言われます。

女房を質に入れても買うのが江戸っこ気質と言われるそうですから、初ガツオの人気のほどが分かります。


きょうわが家のカラタチから、アゲハがさなぎから成虫になりました。朝日が射し込んできた頃は、まだ羽の様子が弱々しげでしたが、10時頃になったら急に羽ばたきが激しくなって、やがて飛び立ちました。

アゲハは、体温が30℃以上にならないと飛び立つ力が無いと言われますから、それまで待っていたのでしょう。青葉の陰で生命の営みを感じます。


ところで「五月病」という言葉があります。幼稚園でも、今頃になると、せっかく馴染んできたのに登園を渋る子が出てきます。ゴールデンウイークのお休みで、緊張感が解けてしまったのでしょう。

小中学校生でも、社会人でもよくあることです。家庭で、あるいは学校(園)や職場で、心が休まり安定する場を設けてあげましょう。すると、五月病は
いつの間にか治ってしまうものです。



他山の石

今年は、ノーベル文学賞が来年に持ち越されるそうです。 いま話題のセクハラ問題のためとか。 残念 !


ところで、文学(読書)にちなんだ話です。

今から45年前、 毎日新聞社から 「 現代日本のエッセイ 『他山石語』 ・ 吉川
幸次郎著 」が発行されました。

『他山の石』とは、詩経 ( 中国最古の詩集・五経の一つ・孔子編と伝えられる) に
出てくる 「 他山の石を以って玉を攻むべし 」に拠ります。

よその山から出る粗悪な石でも、自分の玉を磨く砥石として役に立つ、という意味です。転じて他人の言行が、例えそれが誤っていても劣っていても、自分の才能や人格を磨くのに活かせるということです。

吉川幸次郎氏と言えば、中国文学研究の第一人者として有名で、日本学術会議委員・日本芸術院会員・国語審議会委員・京都大学文学部部長などを歴任された方です。文化功労賞も受賞されています。


そんなわけで本の内容を十分に理解しないまま、発売されるとすぐに 『 他山石語 』 を購入しました。定価は1000円、45年前ですからかなり高価です。

早速本を開いて目次を見ると、先ず難解な小題目がずらっと並んでいました。

主なものを列挙してみます。

思夢と愕夢 ・断絶の文体 ・書法雑疑 ・虚構と事実 ・美洲詩信 ・音容日遠
・天才汪洋の学 ・詩に達詁無し ・線装の本・・・

これを見たとたんに、私の読書意欲は急速に萎えてしまい、 ざっと目を通した
まま本棚に収めてしまいました。


あれから半世紀近く経って、私は再び『 他山石語 』を本棚から引っ張り出し、改めて読んでみました。

若い頃難解な書として放り出したのに、いま読んで見るとなかなか興味のある本です。自分が歳を取ったことにも拠るのでしょうが、何であの時熟読しなかったのか?  と、今更ながら悔やまれます。


著書に、「老年」 という小題目があります。 そこに私の心を見通したような文が
ありました。

 若いころ本を読んで、老年になったら、そうした気もちになるだろうと、おぼえるともなくおぼえ込んだ言葉どもがある。「梨の花は淡き白にして柳は深き青、柳の絮(わた)の飛ぶ時に花は城に満つ。惆悵(ちゅうちょう)す東欄の二株の雪、人生看るを得ん幾たびの清明。」  清明節とは、われわれの陽暦では四月の
上旬にある春の節句、梨の花が雪のようにさきこぼれる。有限の短い人生、何度それにあい得るか。蘇東坡の「東欄の梨花」と題する七言絶句であり、四十二歳、山東省の密州の知事であった時の作という。
 若いころの私は、花見などいっこう興味はないくせに、この詩をしばしば口ずさんだ。
(中略)
 次には「惜しむ可し歓娯の地、都べて少壮の時に非ず。」 これは杜甫の句である。学校をやめてからは、さすがに閑が今までよりある。享楽の機会をもとうとおもえば、もてる。経済も若いころよりは余裕がある。しかし夏が来て、海へ出かけたとしても、若い人のようにはねまわることは、もはや体力がゆるすまい。 (後略)



若い頃のように読書に長時間費やす体力はもうありませんが、 昔の本を再び
本棚から選んで読み返すのが楽しみなこの頃です。



クラス会

2018年4月15日 甚作にて(練馬・関町北)


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