幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

遊びが大切なわけ

わが家の周辺も宅地化が進み、それと共に子供の数も増えてきました。 裏手にある公園でも、元気に遊ぶ子供の姿が見られるようになりました。

幼児期の 「遊び」 について、きょうはフレーベル (1792〜1852年・ドイツの教育者・ 「幼稚園教育の父」 と言われる) の 「人間の教育」 から引用して説明します。

遊びは、幼児期の生活そのものです。フレーベルも「遊びは、幼児期における生活の最高の階段である。」と言います。

子供は、遊んでいる時も頭を使います。体も動かします。それらは成長を支える行動です。

理屈っぽく言えば、 遊びは幼児が自己の内面を自ら自由に表現したものです。必要と要求に応じて、自己の内面を外に現したものです。

遊びは、 幼児期における子供の最も純粋な精神的生産物です。人間の内に秘められた本能的で理想的なあり方が、行動に現れたものなのです。

遊びは、 それ自身において喜びであり、 自由であり、満足であり、 また平静でもあります。

遊びは外界と平和であり、 他の人にもそれは伝わります。 遊びはまた、 全ての善なるものが生じる源泉です。

子供は周囲に気をつけながら、 疲れるまで飽きずに遊ぶことができます。 このことは、自分の喜びを求めると共に、他人のことも気遣う、根気のある落ち着いた人間性を育みます。

フレーベルは、「子供が遊びに没頭した後、 疲れて良く眠る様子は、この時期における子供の生活の中で最も美しい現象ではないだろうか。」 と言っています。

幼児期の遊びには、このような意味があります。単なるイタズラでは無いのです。だから親は、遊びを奨励することはあっても、妨害してはなりません。特に 冷静さ・洞察力は、遊びを通して養われます。


一人の人間の生涯は、幼児期の生活 即ちよく遊んだかどうかで決まります。

 ・純潔だったか,  汚れたものだったか ?
 ・温和だったか,  粗暴だったか ?
 ・平穏だったか,  波風が多かったか ?
 ・勤勉だったか,  怠慢だったか ?
 ・功績が多かったか,  少なかったか ?
 ・創造的だったか,  破壊的だったか ?
 ・平和を好んだか,  争いをもたらしたか ?

子供が成長した後、父母に対して・家族に対して・兄弟姉妹に対して
・社会や他人に対して・自然や神に対して・・・
いかなる態度を取るようになるか ?

子供個々の素質によって違いはあるものの、根本的には幼児期における生活(遊び)の仕方によって定まるのです。


  遊びをせんとや 生まれけむ
  戯れせんとや 生まれけむ
  遊ぶ子供の 声聞けば
  我が身さへこそ 揺がれる

                                    (梁塵秘抄)



 *体調不良だったので、ブログを休んでいました。



文月


サボテン ( 2017, 6. 29 写す )
IMG_4502_convert_20170629151555.jpg
ユリ ( 2017, 6. 30 写す )

きょうから7月です。    光陰矢の如し!    歳月人を待たず! 
今年も半分が過ぎました。

昔は7月を「文月(ふづき)」と言いました。七夕の頃、本の虫干しをしたのでこう呼ばれるようになったと言われます。別説では、稲の穂が育つ時期、即ち「穂含月(ほふみづき)」から転じたとも言われます。

いずれにしても旧暦ですから、今の暦なら8月のことです。7月は旧暦なら6月ですから、「水無月(みなつき)」です。

梅雨の季節なのに、「水が無い月」とはどういうことでしょうか? 
どの田にも水がある月なので「水月」と言われたのが、「みなつき」になったと言います。他にも田の仕事を皆し尽くしたので、「皆仕尽月(みなしづき)」=「みなつき」になったという説もあります。

7月の行事といえば、先ず「七夕」・「盆」・「中元」などを思い浮かべます。
ところで「中元」は、よく分からぬままに品物を遣り取りしていました。

昔 中国では、「上元(1月15日)」・「中元(7月15日)」・「下元(10月15日)」と、天の神様を祭る日がありました。「元」には初めの意味があって、1年を3区分した初日に当たります。吉日の元旦が、年に3回あることになります。

中元で贈り物をするようになったのは、室町時代からだと言われます。盆の行事と一緒になって、感謝の気持ちを表したことに因ります。また商人は、盆と正月が決算期だったので、お得意様に贈り物をするようになりました。


7月の思い出として個人的に忘れられないのは、十数年前の京都祇園の「山鉾行列」見物です。当日(7月17日)は、朝から晴れて暑い日でした。

辻廻しを見物しようと思って、宿で手配してくれた河原町通りから御池通りに曲がる交差点近くで、行列が通る2時間ほど前から待ちました。でも暑さのため、待っているうちにだんだんと気分が悪くなってきました。

どうにか山鉾行列は見物できましたが、とうとうガマンできなくなって近くの病院に駆け込みました。今で言う熱中症になったのです。疫病を祓う行事なのに、病院で半日厄介になってしまいました。忘れられません!


いまわが家では、真っ白なサボテンと真っ赤なユリが、競い合って咲いています。どちらも鉢栽培なので、室内に持ち込んで鑑賞しています。

「白勝て! 赤勝て!」ではありませんが、紅白が競うのは、源平合戦に由来するようです。白は源氏の旗印、赤は平家の旗印です。

オリオン座の三ツ星で右下の青白い星はリゲル、「源氏星」と言われます。右上のペテルギュウースは、赤い色なので「平家星」です。


色分けする言葉で最も古いのは、日本では白・黒・赤・青の4色だけだそうです。NHKの「日本人のおなまえっ!」という番組でも、古事記・日本書紀に出てくる色も、この4色だけとのことでした。(6月29日放送)

言葉の発生をたどると、白ははっきりの意味の「著し(しろし)」から生まれました。赤は「明らか」の意味からきています。

NHKの同番組では、白は朝日を浴びて光る湖面の様子を「顕し(しるし)」と表現したことから、赤は日の出に赤く映える山の様子を「明し(あかし)」と、表現したことから生まれた言葉と説明していました。


ところで温暖化のせいでしょうか?  九州・山陰地方は大雨のようですが、関東は雨が少ないようです。東京の今日は梅雨模様ですが、来週はまた梅雨の中休みとか・・・   関東各地の水がめは、水不足が心配されています。



再 幼児教育

IMG_3900_convert_20170513134308.jpg
紫蘭 ( 2017, 5.12 写す 狭いわが家の庭を独占する勢い )

S 幼稚園で指導していた頃を思い出しながら・・・

幼児はいたずらが大好きです。大人が止めても、なかなか止めません。大人にとっては大切な品物、散らかされては困る場所・・・ そんなことは関係ありません。また大人が忙しい時でも、仕事をしている時でも、彼らは自分の都合だけを考えて助けを求めにきます。

幼児は何かをやっているのに、自分の興味をひくような面白いことに出会うと、やっていたことを放り出してそっちに手を出します。

大人から見れば、迷惑な行動です。でも気をつけて観察すると、幼児期は新しい事象に出会うと、何故だろう?  どうしてだろう?  と、色々と試行錯誤している場や状況であることが分かります。

園児たちは、遊戯室の大型積み木を持ち出してそれを積み重ね、その上に立ったりそこから飛び降りたりしました。園庭のケヤキの木にもよじ登って、景色を眺めたり枝にぶら下がったりしました。子供は高いところが大好きです。大人は、落ちて怪我でもしたら大変と心配しますが・・・

子供は、未知の世界を求めるために、 遠出をしたり探検に出かけたりします。
危険なことに遭遇しないかと、大人の心配をよそに・・・  帰って来た子供は、まるで大冒険を終えたように満足しています。

砂遊びやどろんこ遊びは、感覚に訴える快さがあります。鬼ごっこや隠れんぼも、体を動かす快感があります。遊びは、子供たちが快感を得るための手段です。だから子供たちは、遊びを繰り返して楽しみます。

いたずらや冒険を繰り返すのも、大事な遊びです。遊びを通して子供たちは成長します。

でも子供たちは、快感を求める遊びから卒業するようになります。やがて彼らは、創造的な活動へと発展して行くのです。

幼稚園(保育園)は、幼児がいたずらや冒険を思い切り出来る遊びの場であって欲しいと思います。危険が本人や他人に及ぶ心配がある時は、もちろん指導されます。でもそれ以前に、子供たち自身に危険を避ける能力が育っているのです。


「人間どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればよいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は、大学院という山のてっぺんにあるのではなく、幼稚園の砂場に埋まっていたのである。」 ( ロバート・フルガム )


清明

IMG_3833_convert_20170410122512.jpg
サクラ  今年は、寒の戻りがあったので花持ちが良い。
          ( 2017, 4. 7 写す・ 千川上水沿いの ソメイヨシノ )


今頃の時期を「清明」と言います。万物が、清く明るく生き生きと感じる季節です。そして、「4月の風は光る」とも言われます。見るもの全て清々しく、希望に満ち溢れています。

実は 私の祖父の名が(父方の) 清明 です。

新年度もこの時期にスタートします。自然に恵まれた日本は、緑一色に覆われます。小川の小魚や水生昆虫たちも、元気に活動し始めます。

千川上水沿いの陽だまりで、小さな白い花をつけたナズナや、黄色い花のハハコグサを見つけました。袴をつけたツクシンボウの穂先を、春風が通り過ぎて行きます。冬ごもりをしていた虫たちも、目を覚ましたようです。

学校 (幼稚園・保育園も) も、新学年度の幕開けです。子どもたちも冬の寒さから解放されて、歓声をあげて外へ飛び出します。

欧米は9月が新学年度という国が多いようですが、そこが農耕民族と狩猟民族の違いでしょう。最近9月新学年度説を主張する人がいますが、日本の気候風土に逆らってまで変える必要はないと、私は思います。

関西では、男女共に13歳になると、4月13日には虚空菩薩にお参りして、知恵が授かるようにと祈る「知恵参り」という風習があります。( 「十三参り」 とも言われる。京都嵯峨の 「虚空蔵十三参り」 は有名。) 
やはり学問の始めは「清明」の季節です。


ところで幼稚園・保育園の新入園児たちも、無事入園式を済ませた頃だと思いますが・・・   元気で通園しているでしょうか?

幼児期は、優しい心を育てる大切な時期です。心の発達過程から考えても、人間性の基礎を培う適齢期です。

幼児は、アニミズム的な考え (全てのものには、魂や感情があると考える。) を持っています。ですから草花がしおれると、 「のどが渇いたのね。かわいそうに。」 と、話しかけます。

茎が折れたりすると、自分が骨折したように痛みを感じたりします。また生物ばかりでなく、椅子や机を叩くと、椅子や机が痛がると真剣に思います。

このアミニズム的な考え方は、未発達段階における大事な思考形態なのです。
人はこの頃に、他を思いやり、他の痛みを感じ取るという大切な心情が育つ
のです。

この時期に大人が子どものアニミズム的な考え方を否定したり訂正したりすると、子どもは情緒の発達が乱されて、弱いものをいじめたり、物を粗末に扱ったり、攻撃的な心情が強まったりするのです。

幼児期の優しい心は、物事を深く考え、工夫する力を生み出します。それはやがて、人として正しいことを最後までやり遂げる強い精神力へと成長して行くのです。


調べる

園児たちに、こんな話をしたことがあります。

地震がいつ起きるか?    火山がいつ噴火するか?    自然の変化に気づいたか?   

それらを調べるためには、複雑な仕組みの機械や、地面の変化を調べる装置が必要です。

複雑な機械や装置を使わないと、地震や火山のことを調べるのは無理なのでしょうか?   

「子どもでも調べられます。」  私は子どもたちに言いました。

私たちは、わからないことを調べるのに、大変役立つものを持っています。それは、私たち自身の体です。

先ず第一に「目」があります。目でものを良く見ると、色々なことに気づきます。ものの「色」・「形」・「大きさ」・「感じ」などです。

そして、「白い」・「黒い」・「赤っぽい」・「尖っている」・「丸い」・「キラキラしてうぃる」などと、事象の様子がわかります。自然の変化に、気づくかも知れません。

次に「手」です。手の色々な部分と比べて、「親指くらいの大きさ」・「人差し指と親指を拡げた長さ」・「手を拡げたくらいの大きさ」・「手を握ったくらいの大きさ」など、大きさや長さがわかります。

また手でものに触れて、「硬い」・「軟らかい」・「ざらざらしている」・「すべすべしている」・「冷たい」・「暖かい」や、手に乗せて「重い」・「軽い」などがわかります。
噴火前の地面は、温度が変わっているかも知れません。

わたしたちの手や目は、ものを調べる大切な用具になります。他には目や手の働きを助けるために、簡単な道具もあります。

「虫眼鏡」は、ものを拡大して細かい部分までよく見ることができます。凸レンズや凹レンズを組み合わせると、望遠鏡や顕微鏡の働きもします。

「物差し」は、ものの長さを正確に測り、長さを比較する時にも役立ちます。「秤」はものの重さを調べるのに、「枡」は量を測るのに便利です。「ナイフ」や「ピンセット」も、手の働きを助けます。

高価な機械や装置がなくても、自分たちの体の働きや簡単な道具を使って、身の回りのことを調べることができます。それが、ものを調べる時の基本の姿勢なのです。   ・・・と