幼児教育を語るひろば

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一寸光陰軽不可軽

連日の猛暑、何をするのも億劫です。


ところで億劫とは? 気の遠くなるような時間のことです。

劫とは、長い時間のことです。

それが億ですから、何億時間ということです。


お坊さんが悟りを得るための修行は、長時間の努力・苦労・辛抱が必要です。
その修行から逃避しないことが、大前提です。
億劫がっていたら、修行は成就しません。

億劫という言葉の意味です。


暑いからと言って怠けていたら、何事も向上・成功は不可能です。

 少年易老学難成
 一寸光陰不可軽
 未覚池塘春草夢
 階前梧葉已秋風

        (李白・唐の詩人)

池の堤でまどろんだ春の日の夢が覚めないうちに、庭先の青桐の葉からはもう秋の声が聞こえるようになりました。


光陰矢のごとし、歳月人を待たず! です。


 子供たちへ
 暑いからと怠けていると、すぐに白髪の老人になってしまうよ!




納涼 今昔物語


 風鈴 ( 2018, 7. 17 写す )
     左は南部風鈴(南部鉄で作られている)

日本の夏には欠かせぬ納涼必需品でしたが、最近は音がうるさいと
苦情が来るそうです。クーラーの音も結構うるさいと思いますが、
合理化・自己中化の声にはかなわないと言うことでしょうか?



言うまいと思えど今日の暑さかな

高校時代に You might think today's hot fish. と、英語の言葉遊びをしたことを思い出しました。


それにしても連日の猛暑に、為す術もありません。西日本豪雨災害被災地も、この暑さに苦しんでいるようです。

被災された方々は勿論、支援活動を続ける警察・消防・自衛隊・当該自治体の職員の皆さん、他にボランティアの人たち、猛暑の中の活動 本当に頭が下がります。

熱中症に注意されて活動されるように、心から願っています。


今は暑ければクーラーに頼りますが、昔の人はどんな納涼対策をしていたのでしょうか?

昔と言うより、私の子供時代もクーラーなどありません。子供時代を思い出して見ました。

山も庭も 動き入るるや 夏座敷 
               (芭蕉)

夏になると家のふすまや障子を外して、すだれをかけ、風通しが良くなるようにしました。いわゆる夏座敷に替えました。

それから軒に風鈴を吊るしました。風鈴の音も風情がありましたが、涼風を感じることができました。

クーラー代わりには、うちわが用意されました。家族それぞれの個人用と、来客用のうちわです。

裕福な家庭には扇風機がありましたが、わが家に扇風機がやって来たのは、終戦後だったと思います。

室内を涼しくするために役立ったのが、金魚鉢です。縁日の金魚すくいですくい上げた金魚をその中に入れて、涼を求めたのを覚えています。


日中の暑さが厳しくなって来ると、打ち水をしました。打ち水のついでに子どもたちは、水かけ遊びをしました。そのために、竹で水鉄砲を作りました。その頃は、遊び道具もみんな手作りでした。

ついでにたらいに水をはって、水浴びをしました。プールも完備してない時代でしたから、夏休みの子どもたちの暑気払い行事でした。

当時冷蔵庫のある家庭は珍しく、冷蔵はもっぱらたらいなどに水を入れて、その水で食べ物を冷やすのが普通でした。
キュウリ・トマト・マクワウリ・スイカなどを冷やして食べました。


戦前からアイスキャンデーは、氷屋さんで売っていました。また、自転車でも売りに来ました。でも「疫痢になるから・・・」と言われ、滅多に買ってもらえません。買ってもらった時は、暑さも忘れて味わったのを思い出します。


夏の土用の頃は、夏バテ防止のご馳走が出ました。天ぷら・柳川・うな重などですが、なぜか甘酒を飲みました。


夕方になると路地に縁台が出て、近所の人たちが夕涼みがてら集まりました。男性は浴衣をだらしなく引っ掛けて、上半身裸で平気でした。

夕涼み よくぞ男に 生まれけり
              (其角)

庶民の暑気払いと、コミニュケーション作りの知恵だったのでしょう。


暑さ寒さも彼岸まで と言って、納涼の基本は我慢だったように思います。




三伏

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 ひまわり ( 向日葵・近所の病院で 2018, 7. 14 写す )
       ひまわりは、やはり夏を代表する花です。


このところ西日本・東日本は異常な暑さで、熱中症が心配されます。

今回の豪雨災害被災地では、被災者はもとより、支援のボランティアたちも、厳しい暑さの中で復旧活動を強いられています。

午後には各地で気温が上昇し、多くの地域で37℃を超えました。

(午後3時50分の NHK ニュースによる)

 *38℃を超えた地域
  ・京都市  ・岐阜県揖斐川町 

 *37℃を超えた地域
  ・大分県日田市  ・埼玉県熊谷市  ・広島県三次市
  ・富山県富山市、高岡市  ・山形市
            (夕方になればもっと増えていると思われる) 
 
 

過去に37℃を超えた最高気温の記録が残っていますが、現在は日常的にこのような高温の日が続いています。

 昭和 8年 7月25日  山 形→40.8
   17年 8月 1日  鹿児島→37.0
   17年 8月 2日  名古屋→39.9
   17年 8月15日  長 野→38.6
   24年 8月 3日  大 阪→38.2
   28年 8月21日  東 京→38.4


昔から酷暑の期間を表す言葉として三伏が使われます。夏至から数えて3番目の庚(かのえ)の日が初伏、 4番目の日が中伏、立秋以降1番目の庚の日が
末伏です。


庚( 十干の7番目 )は、金( 木・火・土・金・水の五行と言われ、万物を構成する元素 )の兄です。金は火性の盛んな夏の間は火を恐れて伏し隠れているので、夏の庚の日は凶日とされました。

転じて、酷暑である夏の3回の庚の日を三伏と言うようになりました。今年の初伏は7月17日、中伏は7月27日、末伏は8月16日です。


いくら暦の上では三伏だからと言っても、この暑さは平常ではありません。
世界規模で地球の温暖化が進んでいるのです。個人としてはもちろん、国家的にも早急に対策を講じる必要があります。
 

豪雨災害被災地の人々のためにも、三伏の夏が早く過ぎ去るように心から念じています。

   池冷やかにして
   水に三伏の夏なく
   松高うして
   風に一声の秋あり
            ( 和漢朗詠集 源英明 )




西日本豪雨災害

西日本を中心とする豪雨災害が発生してから1週間が経ちました。今朝の朝日新聞によると、死者の数が200人に達したと報じられています。行方不明の人は、広島・岡山両県だけでもまだ67人もいるそうです。犠牲者の数はこれからも増えるのではないでしょうか。心配です。


「板子一枚下は地獄」と言います。和船の底に敷く板子の下は、地獄のような深い海です。つまり私たちの生活は、常に危険と隣り合わせだと、昔から言われてきました。


娘の家は、広島市南区にあります。土砂災害と縁遠いと言われる地域ですが、ここにも「避難勧告」が発令されたとのことです。

広島県は、地質学的にも累卵の危うさがあると言われる土砂地帯です。それに加えて、中国地方では人口の多い県です。


「禍福はあざなえる縄の如し」と言われるように、人間の禍福はより合わせた1本の縄のように表裏をなしていて、予測できません。いつ自分が自然災害に見舞われるかは、計り知れないのです。
被災者のことを思うと、心が痛みます。


今回の災害で20人以上の死者・行方不明者が出た呉市は、広島へ行く度に訪れる好きな街です。あの美しい街が土砂に呑まれて一変した様子が、テレビの映像で伝えられていますが信じられません。


被災各地は、鉄道も道路も寸断され、生活物資も届かないようです。電気も飲み水も止まり、加えて連日の猛暑、正に生命の危機的状況下で、被災者たちは喘いでいます。

報道によれば、美しかった街も市民生活も、元に戻るには相当の日数を要するだろうと言われます。被災者たちが、一日も早く元の生活に戻れるように願うと共に、応援したいと思います。


最近の異常気象は、従来の常識で判断することが出来なくなりました。どうしたら災害から身を守ることが出来るか?
住んでいるところがどんな場所か?  再確認して、家族や近所の人たちと対策を話し合っておくことが、とても大事だとつくづく思いました。


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 サボテンの花 ( 2018, 7. 13 写す )

 サボテンの花が咲きました。
 サボテンは、砂漠のような過酷な土地でも育ちます。
 花言葉は、「温かい心」・「温情」などです。
 きっと、被災者たちを励ますために花をつけたのでしょう。





四万六千日

西日本豪雨
西日本各地を襲った豪雨による被害の状況が、テレビや新聞で伝えられています。死者126人、行方不明や連絡が取れない人は79人もいるとのことです(10日付 朝日新聞朝刊による)。平成で最悪の災害と報じています。

「これまで経験したことがない」ことが、日常的に起きるようになって来たのが気になります。やはり地球がおかしくなって来たのではないでしょうか?

自衛隊や警察・消防による救助活動が続いているようですが、一刻も早く被災者たちが普通の生活に戻れるように祈るばかりです。





わが家のほおずき ( 2018, 7. 9 写す )


きょうは浅草寺の四万六千日です。昔 文京区の小学校に勤めていた頃は、学校の帰りに必ず浅草寺のほおずき市に寄って、ほおずきを求めて帰りました。

それにこの日に浅草寺にお詣りすると、46.000日分の功徳があると言われました。46.000日というと、126年分に相当します。一生分以上の功徳が得られるというわけです。

別説では米1升が46.000粒あり、1升を一生にかけたと言われます。とにかく欲張っているというか、横着というか、人間は勝手なものです。

そんなわけで江戸時代の浅草寺は、四万六千日のほおずき市の日が一番賑わったそうです。

ほおずきは、薬用としても人気がありました。大人は癪が治まり、子どもは疳の虫下しに効果があると言われました。


浅草寺では、四万六千日の日に、赤トウモロコシを売る屋台も出ました。赤トウモロコシは雷除けに効くと信じられていました。

明治以降赤トウモロコシの需要が落ちて、生産されなくなりました。そこで浅草寺では、代わりに竹串に挟んだ三角形のお守り札を、雷除けに参詣者へ授与するようになりました。

それに普段のお守り札も、今日と昨日は「黄札」と言われる黄色の祈祷札に変わりました。


わが家のほおずきが赤くなると、浅草寺のほおずき市へ出かけた頃のことを思い出します。