幼児教育を語るひろば

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子は宝

芙蓉 ( フヨウ )
スイレンのこともフヨウと言うので、木芙蓉と呼んでいます。
10年以上も前に千川上水沿いから紅白2種の芙蓉の種を失敬してきて蒔いたのが、今やわが家の庭をわが者顔に占拠しています。
例年8月初旬には咲き始めるのですが、今年は日照不足のせいか昨日から咲き出しました。
一日花ですが毎日次から次へと咲くので、9月になっても楽しめます。



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子は宝
最近親が子供を虐待する事件が多発していますが、どうしたことなのでしょうか?   次代を背負う子供たちこそ、家庭の宝・国や社会の宝のはずです。

厚労省は、2016年度全国の児童相談所が対応した児童虐待の実態を公表しました。それによると虐待を受けた子供の件数は、122.578件もありました。1990年以降、毎年増加の傾向です。

2015年度には虐待によって死亡した子供が、52人もいました。
(無理心中などは除く)

万葉集に、山上憶良の有名な歌があります。

「 瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲ばゆ 何処より来たりしものぞ 眼交 いにもとな懸かりて安眠しなさぬ 」

「 銀も金も玉も何せむに 優れる宝子にしかめやも 」

親が子に暴力を振るうとは、通常は考えられないことです。でも虐待は現実の出来事です。社会の、そして人の心が病んでいる証です。

虐待を防ぐには、多様な原因を考えると簡単ではないと思います。先ず行政が、児童福祉対策により力を入れて欲しいと思います。そして虐待の心配がある家庭や親へのきめ細かな援助や対策を、心から期待してやみません。



終戦記念日

72年前のきょう、私は母の実家で(福島県)数人の大人に混じって、終戦を告げる天皇の録音放送を聞きました。

大人たちは神妙に聞いていましたが、子供の私には中身がよくよく分からなかったのを覚えています。そばにいた叔父が、「戦争が終わったよ」と教えてくれました。

戦争に負けたらしいということは、 大人たちの雰囲気から察しました。  でも、信じられませんでした。

昨日まで 「神国日本は、 鬼畜米英に負け無い!」 と、 繰り返し教え叩き込まれて来ましたから、日本が負けるとは思っていませんでした。

例え負けそうになっても、必ず神風が吹いて勝利すると、元寇の役を例に思い込まされていました。北朝鮮の人たちを笑っていられない教育が、わが国でも行われていたからです。


憲法改憲の声が聞こえてきますが、戦争放棄を謳った現憲法のお陰で、わが国はまがりなりにもこの72年間、平和を守って来ることが出来きました。

72年も経過すると、戦争の惨禍を知る人たちが少なくなりました。でも、戦争の傷跡は、まだ日本中のあちこちに残っています。


北朝鮮と米国の雲行きが怪しくなってきました。(日本も無関係ではありません)  でも、 二度と戦争を引き起こしてはなりません。  終戦記念日のきょうは、声を大にしてそれを訴える日です。


広島へ行くと、本通り商店街(広島最大の繁華街)近くの「袋町小学校平和資料館」によく寄ります。原爆の爆心地から460メートルほどの距離です。

現在袋町小学校は立派に再建されていますが、 その一角に被災校舎の一部が、平和資料館として保存されています。賑やかな商店街の中に、ひっそりと佇んでいます。

原爆投下時、在校していた160人ほどの職員・児童の命を、瞬時にして奪いました。拝観する度に、不戦の誓いを強くして帰ります。

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  原爆で黒く焼け焦げた壁に、家族や児童の安否を尋ねる言葉がチョークで
  書かれている。(原爆投下後に伝言板代わりに使われた)


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  被曝した扉

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  チャイム役の太鼓



免疫力

免疫とは、病原菌や毒素に抵抗する性質が出来ていて、 発病しないことを言います。

比喩的には物事の厳しさや障害に遭遇しても、何回も経験しているので慣れていて、それを乗り越えられることです。言い換えれば、艱難辛苦に出会った時の心的抵抗力が身についていることです。

最近の若い人たちは免疫力が弱いので、勉強でも仕事でも、苦しいとそれに耐えられずにすぐ放り出してしまうと言われます。

その原因は、いろいろ考えられます。

先ず豊かな時代ですから、幼い頃に甘やかされて育ちます。厳しいこと辛いことはみんな大人が代行して、自身が苦労することをあまり経験したことがありません。ですから厳しさや辛さに対する免疫力が、培われていないのです。

その上 成人してからも、あまり先輩や上司から厳しく指導されることがありません。注意・指示・命令・評価・・・  などの機会も少なく、心的抵抗力も身についていません。だからちょっとした事件に出会っても、すぐに学ぶ意欲や自信を失くしてしまうのです。

「わが子に幼いうちから苦労させるのは忍びない」・「そんなに早く競争社会に出したく無い」・「出来るだけ失敗したり負けたりするのは避けてあげたい」・・・   
現代の親心でしょうか?  

不思議なことに苦労した親ほどわが子を憂き世の荒風に晒さずに、温室の中で育ててしまいがちです。子供は、無菌室の中で世間知らずのままに成長します。

「失敗することは怖くないが、苦しさを避け、努力しないで成功するほど怖いものはない。」と、先人は教えます。

「免疫力は、人生経験によって身につく。」 とも言われます。

転んでもよいから、駆けっこをさせてみましょう。そのうちに転んだら起き上がって、再び駆けるようになります。転ぶのに免疫が出来て、再びやり直す力がついてきます。

「石の上にも三年」  少し時間はかかりますが、可愛い子には旅をさせましょう。そして道中の厳しさ・苦しさを体験させて、世の荒波を乗り越える力をつけてあげましょう!


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 弘前のねぶた



長崎原爆忌

長崎平和祈念式典
きょうも日本全国暑い一日になりました。 台風5号の置き土産のようです。
この暑さの中で、長崎の平和祈念式典が執り行われました。
長崎に原爆が投下されてから72年になります。

原爆によって奪われた多くの命は、祈念式典を開いたからと言ってあがなえるものではありません。広島も同じです。

犠牲者を悼むためには、何よりも核兵器廃絶を急ぐことです。祈念式典は、核兵器禁止条約に参加しなかった日本政府に対しても、条約への参加を呼びかけるよい機会です。

田上長崎市長は、平和宣言の中で「核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。」と、訴えました。

安倍首相は挨拶の中で、「核兵器の無い世界を実現するために、核保有国と非核保有国双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意だ。」と言いました。

主導するならアメリカに遠慮しないで、もっと積極的に核兵器禁止を声に出して欲しいと思います。


夏祭り
弟が津軽の夏祭りを見てきて、写真を送ってくれました。
暑さ凌ぎになるでしょうか?

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 弘前のねぶた

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 五所川原駅ホーム案内板

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 岩木山(車窓から)



平和学習

きょうは、広島「原爆の日」です。広島に原爆が投下されてから、すでに72年が経過しました。平和祈念式典のテレビ中継を見ていましたが、広島は72年前と同じように夏の日差しが照りつけていました。

松井広島市長は、平和宣言の中で「原爆は絶対悪である」と言いました。72年前、 原爆が投下された日の様子を「正に地獄」と表現し、 為政者は本気で核兵器廃絶に取り組んで欲しいと訴えました。

先月国連で「核兵器禁止条約」が、 加盟国122カ国の賛成によって採択されました。 核兵器禁止は、被爆国日本の長年の願いだったはずですが、 アメリカの核の保護下にあるため日本政府は採択に参加しませんでした。

広島・長崎の被爆者は、 日本政府の態度にもちろん失望し落胆しました。  でも国民の間からは、あまり批判の声があがらないのはなぜでしょう?  平和に慣れすぎて、核兵器の怖さを忘れてしまったのでしょうか?  気になりました。


平和公園内の「平和記念資料館」が、リニューアルされたと聞きます。 展示物や展示場の劣化もひどくなり、従来の展示法では不十分なところも出てきたようです。

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原爆ドーム ( 平和公園で 2017, 6. 2 写す ) 

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動員学徒慰霊塔 ( 平和公園で 2017, 6. 2 写す )


平和祈念式典では、子供代表の「平和への誓い」もありました。広島の子供たちは、小学校時代から原爆投下の背景や核廃絶への取り組みを「平和学習」で学びます。ですから広島で育った私の二人の孫たちも、「平和学習」は身近な存在でした。

2006年8月6日、私は広島の娘の家に滞在していました。当日二人の孫は、原爆の日の「平和学習」のために登校しました。

孫たちは、広島市教委が作った「平和への誓い」という文書が収められたレターファイルをもらって帰宅しました。私はその一つをもらって帰京し、今でも大事に保存しています。

「平和への誓い」には、次のような一文があります。

  世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。
  そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。



きょうの子供代表の誓いの言葉にも、この思いは受け継がれていました。
広島の子供たちは、「平和学習」が身についています。でも東京の子供たちには(広島・長崎以外と言った方が適切か?)、馴染みの無い学習です。

然し最近、「平和学習」を広島・長崎以外の人たちにも学んでもらおうという動きがあります。東京でも、大学生が中心になって声をあげているようです。「平和学習」の輪が、全国に広がって行くことを願っています。


自然災害でもそうですが、直接経験しないとその怖さが分かりません。ましてや原爆の怖さなど、広島・長崎で生き地獄を目にした被曝者にしか分からないことです。

核兵器の怖さは、長期に渡り放射線を放つことです。被曝から72年も経っているのに、未だに白血病や癌を発病する人がいます。

72年も過ぎると、多くの被爆者が他界してしまいました。怖さを伝える人が少なくなりました。核の怖さが、風化してしまうのが心配です。


広島への原爆投下から72年目の「原爆の日」、「平和への誓い」を新たにしたいと心から願っています。